第9次作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:14 UTC 版)
輸送船:美濃丸・空知丸・たすまにや丸 護衛艦艇:夕月・卯月・桐・駆潜艇第17号・37号 輸送艦第140号・159号 輸送艦第9号(セブ島に向かうが途中まで同行) 連合軍がレイテ島西岸に上陸したためオルモック揚陸は困難になったが、日本軍はレイテ増援作戦を続行した。第九次作戦の輸送船3隻(美濃丸(4,667トン)、空知丸(4,107トン)、たすまにや丸(4,106トン))には、第八師団歩兵第5連隊を基幹とする高階部隊約4,000名と、臨時歩兵第5連隊(カモテス支隊)約1,200名、兵器弾薬1,200m3、糧食800m3を搭載する。輸送艦2隻(第140号・159号)にはオルモック湾への逆上陸を目指す海軍特別陸戦隊約400名(伊藤徳夫少佐、特二式内火艇(水陸両用戦車)10輌・噴進砲21基)を搭載した。またセブ島の第三十三根拠地隊向けの甲標的2隻を載せた輸送艦第9号も途中まで同行した。護衛の駆逐艦は、第30駆逐隊司令澤村成二大佐(司令駆逐艦:夕月)指揮下の3隻(睦月型駆逐艦〈夕月・卯月〉・松型駆逐艦桐)であった。 12月9日14:00、第九次輸送部隊(駆逐艦〈夕月・卯月・桐〉・駆潜艇〈17号・37号〉・輸送船〈美濃丸・空知丸・たすまにや丸〉・輸送艦〈140号・159号・9号〉)はマニラを出港した。12月11日午前11頃、第9号輸送艦はセブ島にむけ分離する。一方、第九次輸送部隊は連合軍戦闘爆撃機(P-40・F4U・P-38)多数の本格的な攻撃を受け、卯月が損傷(艦長重傷)、たすまにや丸・美濃丸が擱座・沈没した。澤村司令は指揮下艦艇を分割し、護衛3隻(卯月・17号・37号)に沈没者救助と空知丸のパロンポン揚陸護衛を命じた。夜間になり、卯月はオルモックに向かったが、アメリカ軍魚雷艇2隻(PT490・PT492)の雷撃により轟沈した。 澤村司令指揮下のオルモック揚陸組(駆逐艦〈夕月・桐〉・輸送艦〈140号・159号〉)は22時0分にオルモック西方2km地点に突入、輸送艦は揚陸を開始する。人員・戦車の全部と機材の半分を揚陸したが、第159号は陸上からの砲撃と艦砲射撃で破壊された。第九次輸送部隊の揚陸実施中、アメリカ軍も輸送船団をオルモックに派遣し、揚陸作戦を実施していた。アメリカ軍船団を護衛していた大型駆逐艦は5隻で、夜戦となったが日米双方とも損害なくオルモック湾を離脱した。夜戦終了後、桐は澤村司令の命令によりパロンポンに戻り、桐便乗中の陸兵(沈没船生存者)を揚陸した。パロンポンにいた空知丸と駆潜艇2隻はそれより先に揚陸を終了し、マニラに向かった(13日15時0分帰着)。 単艦となった夕月は、揚陸を終えた140号輸送艦を護衛してオルモック湾を脱出、もどってきた桐と合流してマニラへ向かった。夕刻、3隻(夕月・桐・140号)はパナイ島東方でF4UコルセアとP-38の爆撃を受けて夕月は大破、桐も至近弾で片舷航行となった。澤村司令は桐に移乗し、夕月を自沈処分にした。1213日19時0分、2隻(桐・140号)はマニラに帰着した。
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