第2回以降の公判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:09 UTC 版)
「相模原障害者施設殺傷事件」の記事における「第2回以降の公判」の解説
2020年1月10日に第2回公判が開かれ、被告人・植松は白い厚手の手袋を両手に着けた状態で出廷し、青沼裁判長から「初公判のように法廷の秩序を乱すようなことをしないように」と注意され「申し訳ありません」と謝罪した。同日は改めて初公判から持ち越されていた検察官の証拠調べが行われ、検察官は各被害者の被害状況や死因・発見場所などを園内写真・見取り図とともに説明した上で、事件当時勤務していた職員6人の供述調書を読み上げ「植松は職員を刃物で脅して結束バンドで拘束し、就寝中だった入所者の部屋へ連れて行き『こいつは喋れるのか?』などと聞いた上で話せない入所者の首辺りを刺していた。途中から『植松は話せない入所者を選んで刺している』と悟った職員は入所者を守ろうと嘘をついたが、それでも植松は構わずに次々と殺傷行為を重ね、『こいつらは生きていてもしょうがない』とも発言した」と明かした。 2020年1月15日に第3回公判が開かれ、検察官はやまゆり園の元同僚職員(植松の幼馴染)の供述調書を読み上げて植松の言動の変遷を指摘したほか、初公判前に実名を公表した犠牲者・19歳女性を含む犠牲者2人の遺族が書いた手記を朗読した。 2020年1月24日に開かれた第8回公判から被告人質問が開始され、弁護人が被告人質問を行った。同日、被告人・植松は動機について「国の負担を減らすため、意思疎通を取れない人間は安楽死させるべきだ」と述べたほか、責任能力の是非に関しては「自分は責任能力がある。もし責任能力がなければ死刑にすべきだ」と述べ、心神喪失を主張する弁護人とは正反対となる主張をした。 2020年1月27日に開かれた第9回公判では検察官が被告人質問を行い、植松は事件後に津久井署へ自ら出頭した理由を「自ら出頭することは現行犯逮捕されるより潔いと思った。出頭して自分が錯乱状態ではないことを証明することで自身の動機を社会に伝えたかったからだ」と述べた。 2020年2月6日に開かれた第11回公判では被害者遺族らの代理人弁護士が被告人質問を行い、植松は「事件の数か月前に自分の両親へ障害者の殺害計画を伝えたところ止められたが、思い直さなかった」と述べた。 2020年2月7日に開かれた第12回公判では植松の精神鑑定を行った精神科医・大沢達哉(東京都立松沢病院)が証人として出廷し「犯行動機は被告人自身の強い意思に基づくもので妄想ではない。大麻の使用は事件に影響していない」と証言したが、続く第13回公判(2020年2月10日)では植松を診断した静和会中山病院院長・工藤行夫が弁護人側の証人として出廷し、大沢とは逆に「犯行当時の植松は大麻精神病の状態だった(=犯行に大麻使用が影響している可能性がある)。現在もその症状が持続している可能性がある」と証言した。 2020年2月17日には検察官による論告求刑に先立ち犠牲者・19歳女性(甲A)の遺族が意見陳述し、植松への死刑適用を求めた。
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