第三の全学連とは? わかりやすく解説

第三の全学連

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 04:37 UTC 版)

全日本学生自治会総連合の歴史」の記事における「第三の全学連」の解説

全学連運動潮流分裂再編に向かう中、1962年には憲法公聴会反対する公聴会阻止闘争5月大学管理法改正反対闘争憲法大管法闘争)が闘われた。1963年日韓基本条約反対原潜寄港阻止闘争はさほど昂揚することはなかった。この時期に、慶応早稲田高崎経済大などでは学内闘争始まっており、後の全共闘運動につながる社会闘争と、内ゲバにつながる党派対立始まりつつあった。奥浩平と和井田史郎の死はこの時期出来事である。1965年6月22日日韓基本条約調印されると、三派系の都学連日韓条約批准阻止闘争課題とした。8月30日にはベトナム侵略反対日韓条約反対方針のもとに反戦青年委員会反戦)が結成された。1966年に入ると早大闘争激化の中で、日韓条約原潜寄港阻止などのような政治闘争との結合機運高まったこのころ空港予定地の一方的閣議決定から始まる三里塚闘争中国でのプロレタリア文化大革命と中ソの対立ストークリー・カーマイケルらのブラック・パワー運動などが発生していた。 日共全学連の「再建」を認めない三派連合中核派あわせて四派連合とも)は共闘路線をとり、後に脱退分裂をはらみながら中核派社学マル戦派、社青同解放派(青解派)の三派(新三連合ネオ三派連合革マル派からは「三馬鹿連合」とも)が1964年より都学連再建1966年12月7日全学連再建全国大会開き新たに全学連結成した(三派全学連、「第三の全学連」とも)(1967年7月12日から14日東工大での大会を以て再建とも)。委員長社学同の斉藤克彦、副委員長は青解派の高橋孝吉社学同の蒲池裕治、書記長中核派秋山勝行が選出された。再建時点で三派はベトナム戦争に関する情勢分析や、17大会から19大会までの全学連正当性に関する認識などで対立見せていた。この再建には自治会権力としては少数派であったML派、社青同国際主義派なども関係していた。委員長出した社学であったが、1967年明大闘争における「ボス交」問題斉藤委員長罷免されかわりに中核派秋山委員長就任することとなった。なお、構改派は1967年10月全国自治会共同闘争会議結成している。革マル派全学連7月13日から4日間、早大にて第24回大会開催し43自治会参加している

※この「第三の全学連」の解説は、「全日本学生自治会総連合の歴史」の解説の一部です。
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