竜王信玄堤の築造と武田氏とは? わかりやすく解説

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竜王信玄堤の築造と武田氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 05:34 UTC 版)

信玄堤」の記事における「竜王信玄堤の築造と武田氏」の解説

甲斐国守護である武田氏盆地東部拠点としていたが、戦国時代国内統一果たした武田信虎期は甲府甲府市)に居館移し武田城下町の整備を行う。天文11年1542年6月信虎追放し国主となった晴信期の初期には信濃侵攻本格化している。川除工事開始時期不明であるが、『明治以前日本土木史』では信濃侵攻平行して天文11年堤防築造着工したとされている。一方で川除場で行われる御幸開始時期弘治年間1555年 - 1558年)であることから、弘治年間までには着工されていたとする説もある。 『国志』に拠れば、はじめ植林などを行われていたが、御勅使川釜無川との合流地点である竜王高岩竜王鼻)に堤防築いて御勅使川流路北へ移し釜無川流路を南に制御試みられたという。信玄堤に関する最古文書永禄3年1560年8月2日付の武田信玄印判状(『保坂文書』)とされる同文書では「竜王川除」に居住した際に家ごとの棟別役免除されることを記しており、「竜王川除」は信玄堤竜王河原宿指しており、同文書が発給され永禄3年以前には堤防築造が行われていたと考えられている。同文書には宛名がなく、武田氏広く竜王河原宿への移住呼びかけていたと見られている。 於龍王川除 作家令居住者 棟別役一切免許者也 仍如件 永禄庚申八月二日 — 武田家朱印状(「保坂文書」) また、竜王河原宿所在する史料として輿石家屋敷前側溝けられていた旧竜王河原宿石橋の銘文がある。この石橋の部材永禄4年1561年)の年記有し永禄4年に「市之丞」がけたもので、跡部市朗右衛門側溝設けた際に出入口利用されたという。慶長8年1603年)の竜王村検地帳には「市之丞」の存在記され、輿石家先祖にあたる人物であると考えられている。 永禄四歳 市之丞掛替 石跡市朗石エ門黒入 巾八尺長九間出 這入口石橋掛替之 — 旧龍王河原宿石橋 堤防築造御勅使川治水により洪水被害緩和され盆地西部竜王では江戸時代初期用水路開削れ新田開発が進み安定した生産力確保されたと考えられている。 天正年間には、年未詳6月29日武田氏朱印状(「保坂文書」)によれば決壊した信玄堤対応する普請として釜無川下流域を指す「水下」の郷村居住する御家人御印判衆が中心となり人夫動員すること指示されている。なお、内容の解釈に対して宛名が「水下之郷」となっていることから、武田家御家人御印判衆を通して堤防工事実施したではなく水害による被害を受ける釜無川流域郷村が、村内居住する御家人御印判衆を堤防工事動員することを願い出て許可され中心となり治水工事が行われたとする説もある。 この朱印状今福昌常和泉守)が奉者を務めた奉書朱印状で、寸法は縦32.6センチメートル・横45.3センチメートル武田勝頼用いた獅子朱印捺印されている。年代天正元年1573年)説・天正4年1576年)説があるが、平山優獅子朱印は勝頼が天正5年1577年以降使用したⅡ型であることや、今福昌常が「和泉守」の官途名使用するのは武田家中において家臣一斉に官途名受領名変更した天正8年1580年1月以降であること、さらに今福昌常が奉者を務めた奉書朱印状天正9年1581年)に限定されることから、この朱印状年代天正9年6月推定している。 また、平山はこの朱印状記される信玄堤決壊に関して、『兼見卿記』同年5月20日条には京都における大雨洪水記録されていることや、『家忠日記』にも同様の水害記録されていることから、天正9年には広範囲大規模な大雨洪水見舞われていた状況指摘している。

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