竜王河原宿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 21:10 UTC 版)
竜王河原宿は堤防の日常的な管理補修や水害発生時における堤防防備の労働力確保のため設置された宿で、赤坂台地の南縁に位置する釜無川旧河川敷の一角に位置する。現在の甲斐市竜王字東裏・西裏地区にあたり、短冊型地割が見られる。初見史料は1560年(永禄3年)武田家印判状であるが、この段階で棟別役一切免除の特権を条件に移住者の募集が募られており、移住者が郷村別に列挙され「竜王村」の地名が記されている1565年(永禄8年)4月晦日文書の段階までに整備が行われていたと考えられている。 永禄8年文書に拠れば、移住者は主に現在の甲斐市域や南アルプス市域など近辺から集まっているが、特に宿に近い八幡之郷や西山郷(甲斐市域)が多く、屋敷請人として名前が記されている有力土豪の一族や配下が移住者となっていたと考えられている。また、永禄8年文書では当初の条件であった棟別役免除の縮小が記されており、以後も諸役免除は徐々に縮小されている。
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