三社神社と御幸祭とは? わかりやすく解説

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三社神社と御幸祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 21:10 UTC 版)

信玄堤」の記事における「三社神社と御幸祭」の解説

日本では古来から堤防の安全を記念する川除祭礼が行われているが、信玄堤では中世現在に至るまで竜王河原宿において御幸祭(みゆきまつり)が実施されている。御幸祭大御幸・三社御幸とも呼ばれ通称おみゆきさん」として親しまれている。 御幸祭古来には毎年4月11月の亥の日に実施され前者は夏御幸後者は冬御幸呼称された。御幸祭甲斐国一宮・浅間神社笛吹市一宮町一ノ宮)・甲斐国二宮美和神社笛吹市御坂町ニノ宮)の神輿と、甲斐国三宮玉諸神社甲府市国玉町)の行列が、三社勧請され創建された竜王河原宿三社神社まで渡御する。夏御幸行列竜王まで向かうのに対し、冬御幸行列現在の甲府市上石田所在する三社諏訪神社まで向かった御幸祭行列各社から川除祭礼行いつつ御幸道を経て竜王向けて行進する竜王川除場に達すると神主水神に対して水防祈念行い御輿担ぎ手が一斉に河原向かって小石投げて神事完了する県内では山梨市窪八幡神社秋祭においても同様の祭礼である「おかわよけ」が行われている。 御幸祭古代天長2年825年)に開始されたとする伝承がある。甲斐国における川除祭礼自体起源諸国一宮制確立した平安時代にまで遡る考えられているが、戦国時代には弘治3年1557年12月2日武田晴信判物浅間神社文書」「坂名井家文書」で、甲斐国守護武田晴信信玄)が浅間神社美和神社神主に対して夏・冬の御幸祭年始の三回に甲府躑躅ヶ崎館甲府市武田)へ出仕することを命じている。また、二宮美和神社に伝わる『二宮祭礼帳』に御幸祭に関する記録見られる古来神輿上石田まで渡御する形態であり、後に竜王まで渡御する形態変化したという。 中世甲斐国では郷村単位行われる祭礼に関する見られるが、御幸祭はこれに対し広域参加し守護武田氏も関わっている祭礼であることが指摘される竜王河原宿には三社神社鎮座している。『甲斐国志神社部に拠れば三社神社弘治3年勧請されたという。三社神社には中世鳥居現存している。この鳥居江戸初期承応元年1651年)の年記があるが、これは修理銘であることが指摘され造立室町時代末期であると考えられている。 『甲斐国志』に拠れば近世には甲府一蓮寺甲府市若松町)において甲府勤番御札献上して青銅奉納を受け、上石田甲府市上石田)の三社諏訪神社立ち寄る三社諏訪神社同様に三社祭神が勧請された神社で、現在でも冬御幸三社諏訪神社まで渡御することから、上石田までの渡御古来形態で、御勅使川治水信玄堤築造による開発竜王川除場までの渡御発展した考えられている。また、上石田への渡御荒川水防祈願とも関係しているとも言われる御幸祭に関して若尾謹之助野沢昌康・斎藤典男らによる道筋研究がある。歴史学においては平山優戦国期祭礼について考察している。

※この「三社神社と御幸祭」の解説は、「信玄堤」の解説の一部です。
「三社神社と御幸祭」を含む「信玄堤」の記事については、「信玄堤」の概要を参照ください。

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