秀吉の与力から直参衆へとは? わかりやすく解説

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秀吉の与力から直参衆へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:02 UTC 版)

蜂須賀正勝」の記事における「秀吉の与力から直参衆へ」の解説

永禄9年1566年)、美濃国において秀吉の手果たされ墨俣城築城前野長康らと協力した土豪衆(稲田大炊助青山秀昌、長江景親、梶田景儀など)の1人として正勝は弟・又十郎と共にこれに加わった秀吉が城の守将とされた後も与力として付けられて、斎藤方を調略する案内役として活動した正勝はこれらの功で、信長により50500貫を褒美として与えられた。 .mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 桐紋五七桐桐紋太閤桐柏紋抱き柏永禄11年1568年)、近江六角攻めでも秀吉与力として箕作城攻撃参加同年信長に従って上洛した。 永禄12年1569年)、秀吉代官として京に留まって警備にあたり5月二条城火災見舞われた際には速やかに鎮火したので、足利義昭正勝の紋の入った羽織褒美として与え家紋としての使用許した以後正勝桐紋衣類用いようになったが、後年秀吉の紋(太閤桐)を用いることが許されるので、これを憚って正勝死後の蜂須賀家では柏紋抱き柏紋)に改めている。また、信長正勝の手柄を伝え聞き尾張春日井郡三淵郷に5,000石を褒賞として与えた元亀元年1570年)、越前天筒山城金ヶ崎城攻め金ヶ崎の退き口活躍姉川の戦い近江横山城攻略秀吉従軍して功をあげた。横山城秀吉任せられる正勝城代となった元亀2年1571年5月堀秀村がいた箕浦城が浅井一向一揆勢に攻められると、秀吉正勝らを派遣してこれを救援させて撃退したが、その際一番槍の手柄を上げている。また長島一向一揆との戦いにも従軍したが、この戦いでは弟・正元失った天正元年1573年)、浅井氏の滅亡後に秀吉近江長浜城主(当初小谷城で後に移転となると正勝には秀吉直臣として長浜領内にも食邑与えられた。『松平記』によると、翌年信長家中殊勲功臣選抜したが、秀吉配下では伊藤輿三左衛門尉と正勝二人だけ選ばれた。 天正4年1576年)の天王寺合戦参加秀吉勢の先鋒務めて、「岸(ろうのきし)一番のの手柄を挙げ中村重友と共に一揆勢の首も多数上げて秀吉より感状100石の加増与えられ、さらに信長からも褒美として定紋軍衣直に手渡されるという栄誉受けた

※この「秀吉の与力から直参衆へ」の解説は、「蜂須賀正勝」の解説の一部です。
「秀吉の与力から直参衆へ」を含む「蜂須賀正勝」の記事については、「蜂須賀正勝」の概要を参照ください。

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