神聖ローマ皇帝ルドルフ2世とスウェーデン女王クリスティーナ
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「オルレアン・コレクション」の記事における「神聖ローマ皇帝ルドルフ2世とスウェーデン女王クリスティーナ」の解説
神聖ローマ皇帝の居城だったプラハ城からスウェーデン軍が略奪した絵画は、熱心な美術品コレクターだった神聖ローマ皇帝ルドルフ2世が収集したものが多かった。そのルドルフ2世のコレクションの大部分は神聖ローマ皇帝カール5世 (神聖ローマ皇帝)のもとで宰相を務めていたアントワーヌ・ド・グランヴェルが収集したコレクションであり、コレクションを相続したグランヴェルの甥に対して、コレクションを売却するようにカール5世が強制したものである。グランヴェルは「当時屈指のプライベート・コレクションの所有者で、ティツィアーノやレオーネ・レオーニ (en:Leone Leoni) はじめ多くの芸術家を庇護した」人物で、著名な肖像画家アントニス・モルを庇護したのもグランヴェルである。スウェーデン軍はハプスブルク家のコレクションのなかでも最上級の美術品を奪い去ったが、現在ではそれらの美術品はウィーン、マドリード、プラハで公開されている。 これら膨大な王室コレクションを相続したスウェーデン女王クリスティーナは、1654年に王位をカール10世に譲り、自らはスウェーデンを離れて諸外国を外遊している。外遊時にクリスティーナが持参したのは、80点程度の絵画(友人や家族が描かれた25点の作品と、プラハ城にあったイタリア絵画を中心とした50点あまりの作品)、彫像、宝飾品、タペストリー72点など様々な美術品だった。その他の王室コレクションについても、カール10世に要求されるのを嫌い、退位前に船でアントウェルペンへと持ち出している。 クリスティーナはローマ滞在中にコレクションを大きく増やした。この時期にコレクションに加えられた作品として、ローマ近くの女子修道院から購入したラファエロが描いたコロンナの祭壇画 (Colonna Altarpiece) の祭壇基壇の小さな飾り絵 (en:predella) 5点などがあげられる。またクリスティーナは、当時美術品コレクターとして著名だったハプスブルク家のオーストリア大公レオポルト・ヴィルヘルムから、ティツィアーノの『アクタイオンの死』を譲り受けたと考えられている。クリスティーナはカトリックに改宗後、カトリック諸国の王侯貴族からこのような寄贈を多く受けており、逆にスペイン王フェリペ4世が贈られたアルブレヒト・デューラーの『アダムとイヴ』(現在はプラド美術館所蔵)のように、クリスティーナから他のカトリック諸侯へと寄贈された作品も存在する。 クリスティーナの死後、コレクションは枢機卿デシオ・アッツォリーノ (en:Decio Azzolino) が相続した。しかしアッツォリーノも1年もしないうちに死去、コレクションはアッツォリーノの甥が相続し、さらにコレクションのうちイタリア絵画140点など275点の絵画が、ローマ教皇軍の司令官だったブラッチャーノ公ドン・リヴィオ・オデスカルキに売却されている。オデスカルキの死後の1713年にデスカルキの遺産相続者たちは、貿易商で著名な美術品コレクターであり、オルレアン公フィリップ2世の絵画購入仲介人を務めていたピエール・クロザ (en:Pierre Crozat) と長期にわたる絵画売却交渉を開始した。最終的にこの売却交渉が成立し、絵画がフィリップ2世に引き渡されたのは1721年になってからのことだった。フランスの美術専門家たちは、クリスティーナが家屋内装に適したサイズにするために数枚の絵画を切落しており、コレッジョやカルロ・マラッティ (en:Carlo Maratti) らの作品に過度な修復を施したと非難している。
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