神奈川大学人文学会
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1953年、神奈川大学人文学会は「人文科学に関する学術を研究」し、「社会一般の文化的進歩に貢献」するために設立。外国語学部および人間科学部に所属する教員、および、これら人文系学部・大学院・ゼミナールにおいて学修する学生(学生会員として学部会を運営)によって構成大学本体から独立した組織となり哲学研究の場となっている。小野地健は、日本各地に伝わる八百比丘尼伝承(人魚伝承)を研究し、不老不死や日本人の死生観を研究した。神奈川大学上原雅文らの人文学会の共同研究グループ「自然観の東西比較」の『古事記』『日本書紀』『風土記』『万葉集』の自然観(原始神道)の研究もあり、西洋哲学がギリシア以来の哲学的概念を使用して様々な思想を考察してきた伝統があるに比して、中江兆民が「我日本古より今に至る哲学無し」(『一年有半』)と言ったとされるが、日本では(中国をはじめアジア諸国でも)、一貫した概念の歴史の積み上げがなかったとし、西洋の超越観念との「比較」を行うための前提としての、東洋の神・仏や天などの超越観念に対する一貫した研究をする必要があるとし、まずは日本で展開してきた自然観を、つまり「自然」・「超越観念」・「人間」という三項の体系の中での自然の意味を、歴史的に叙述しようと試みている。 葦原中国(あしはらのなかつくに)は、磐根(いはがね)・木(こ)株(かぶ)・草葉(かやのは)も猶(なほ)し能く言語ものいふ。夜は煙火(ほへ)の 若(もころ)に喧響(おとな)ひ、昼は五月如( さばへな)す彿騰(わきあが)る。 — (『日本書紀』神代下第九段一書第六)(151 頁) 彼の地(葦原中国)に、多(さは)に蛍火なす光る神と声(さばへ)なす 邪神( あしきかみ)と有り。復(また)、草木みな能く 言 語( ものいふ)こと有り。 — (『日本書紀』神代下第九段正文) 昔者(むかし)、この川の西に荒ぶる神有り。路(みち)行(ゆ)く人多(さは)に殺害(こ ろ)され、半ばは凌しのぎ、半ばは殺しにき。 — (『肥前国風土記』) などの、『日本書紀』、『風土記』などの文献に、光る神、邪神( あしきかみ)、荒ぶる神などの自然への畏怖の対象となる神が登場すると指摘し、岩・草木のわき上がるような(「彿騰わきあがる」)威力を持った存在の様態が、「神」「邪神」と表現され、意味づけを逸脱した不可思議な「もの」の様態が「神」と捉えられており(古語「もののけ」の「もの」に近い))。人々は意味づけられた自然物の背後に、意味づけ以前の「もの」を想定し、それを「神」と名付けたのであろうと推察している。(隙間の神(すきまのかみ、英: God of the gaps)、現時点で科学知識で説明できない部分、すなわち「隙間」に神が存在するとする見方の理論を参照)
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