神奈川大学法学部に進学
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1966年(昭和41年)3月に北海道札幌西高等学校を卒業後、4月に憲法改正論を唱える教授がいる神奈川大学法学部に進学した浩靖だった(当時の神奈川大学にはドイツ法を専攻し純粋法学のハンス・ケルゼンに影響を受け、カール・シュミット研究で知られる黒田覚(京都大学系憲法学者、君主象徴論、黒田制憲権論で有名)が居た。)が、その教授は現憲法の誤りは指摘するが、それが「頭の中のこと」だけだったため失望した。 浩靖は、戦後日本の在り方に疑問を持ち、日本建国の精神・源流を血肉化するため、「日本文化研究会」(日文研)を友人らと共に結成し、「全国学生自治体連絡協議会」(全国学協)で知り合った後輩の、小賀正義(工学部)とも一緒に活動した。 学園紛争や第一次羽田闘争で荒れる新左翼の現状に危機を抱いていた浩靖は、三島由紀夫の『憂国』を読み、その主人公に自身の生き方を示された気がし、高校時代の同級生にも読むように手紙を書いた。この頃、住居は東京都町田市金井町に両親、12歳上の姉・綏子、9歳上の兄・国靖と共に住んでいた。
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