京都学派哲学からの神奈川大学への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 13:42 UTC 版)
「無限革命論」の記事における「京都学派哲学からの神奈川大学への影響」の解説
上記は世界の実存主義哲学の流れであるが、日本でも実存主義が研究される。横濱専門学校(神奈川大学)では京都大学の実存主義哲学者(京都学派)を講師、教授に積極的に招いていたので、1953年、人文科学に関する学術を研究し社会一般の文化的進歩に貢献するために神奈川大学人文学会が設立、機関誌『人文研究』を発行、京都大学系哲学者信太正三、草薙正夫などが活躍。京都学派哲学者高山岩男は海軍の言論報告会理事に居た廉で公職追放命令を受け、浜名湖畔で隠遁生活を送っていたがヘーゲル哲学の弁証法を用いて、西田幾多郎の「場」の理論、田辺元の「種」の理論、和辻哲郎の禅の研究・仏教哲学等の京都学派哲学を基礎にして、1951年独自に高山哲学の根本原理『場所的論理と呼応の原理』を発表。後、1952年神奈川大學創設者米田吉盛の要請で神奈川大学法経学部教授に就任、東京久我山に越した。高山岩男は神奈川大學在籍中~在籍後にかけて、1956年『中立の過去と現在』、1959年『保守主義と進歩主義』、1961年『国際的中立の研究』等を著述発表。高山岩男は右翼にも左翼にも傾倒しない中立を模索したが、戦後日本ではマルクス主義が流行り、神奈川大學でもマルキスト、トロツキストの理論が実存主義と結びつく。
※この「京都学派哲学からの神奈川大学への影響」の解説は、「無限革命論」の解説の一部です。
「京都学派哲学からの神奈川大学への影響」を含む「無限革命論」の記事については、「無限革命論」の概要を参照ください。
- 京都学派哲学からの神奈川大学への影響のページへのリンク