段正
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段 正(だん せい、生年不詳 - 1318年)は、モンゴル帝国(大元ウルス)支配下の雲南における第5代大理総管。信苴政と表記されることもある。
概要
段正は第4代大理総管の段慶の弟で、兄の没後に地位を継承した[1]。1307年(大徳11年)に羊苴咩城に建てられた「加封孔子聖詔碑」には阿慶(段慶)が「鎮国上将軍(略)都元帥」、信苴政(段正)が「明威将軍大理路軍民総管」とされており、段正は段慶と共同で大理路を治めていたようである[2]。モンゴル支配下の大理では段氏の長が宣慰使都元帥、それに次ぐ人物が大理路軍民総管を務めるという慣習があり、段正の地位はかつての段忠の地位を継承したもののようである[2]。
1316年(延祐3年)には段隆が段正の地位を継承し、この年に段正は死去したとされることが多いが、『南詔野史』の一部写本では1318年(延祐5年)没とも伝えており、林謙一郎は延祐5年の方が正しいとみなしている[3]。
脚注
参考文献
- 林謙一郎「元代雲南の段氏総管」『東洋学報』78、1996年
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