石川一雄のアリバイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:23 UTC 版)
逮捕される前の石川は、警察による事情聴取に対し、事件当日の行動を以下のように語っていた。 8時ごろ - 兄と一緒に近所で仕事を開始。 16時ごろ - 仕事を終えて帰宅。その後はどこにも外出せず、家で過ごす。 21時ごろ - 夕食後に就寝。 石川の逮捕後、1963年5月25日の段階でも石川の親類や友人は「一雄は事件当日、屋根の修理に行っていた」と嘘をついていた。しかし、後にこの申し立ては家族や親類や友人と口裏を合わせた上での嘘であることが露見した。 犯行自供後、石川は事件当日の行動を以下のように語った。 14時台 - 入間川駅(現・狭山市駅)で下車、牛乳を飲みながら歩き出す。 15時台 - 50分ごろ、狭山市入間川の加佐志街道の十字路で、自転車で学校から帰宅する途中の被害者と遭遇。 16時半ごろ - 強姦と殺人を実行。 17時台 - 死体処理について30分ほど思案した後、死体を芋穴のそばに運ぶ。脅迫状を訂正。 18時台 - 荒縄を盗む。死体を芋穴に逆さ吊りにしてから被害者の家へ被害者の自転車で出発。 19時台 - 被害者の家に向かう途中、山林で被害者の教科書と鞄を捨てる。30分ごろ被害者の家に到着し、玄関のガラス戸に脅迫状を差し込む。徒歩で帰る途中、I養豚場からスコップを盗む。 20時台 - 盗んだスコップで穴を掘る。芋穴から死体を出して死体埋葬用の穴に埋める。スコップは麦畑に捨てる。 21時台 - 自宅に帰って着替える。 死刑判決後、自供を撤回してふたたび無罪主張に転じてからは、事件当日の行動はこうだったと主張し始めた。 7時過ぎ、「仕事に行く」と言って弁当持参で家を出る。しかし仕事に行かず、入間川駅から西武新宿行きの急行に乗り、西武園で下車、西武園で2時間以上を過ごした後、所沢のパチンコ屋で時間をつぶす。 14時台 - 入間川駅で下車、仕事のズル休みが露見すると父に叱られると考え、西口で引き続き時間をつぶす。金子八百屋の知り合いから「パチンコかい?」と訊かれた(と石川一雄は主張しているが、当の八百屋は「憶えていない」という)。 15時台 - 煙草とマッチを買う。入間川小学校(当時は入間川駅の西口にあった。現在は移転)の築山で休んでいたら雨が降ってきた。 16時台 - 入間川駅西口前の荷小屋に到着。雨が本降りになったため19時過ぎまで3時間以上にわたり雨宿りをする。この間、16時ごろに中学生の集団を見たほか、17時ごろに残飯を積んでジョンソン基地から石川の自宅方面へ向かうI養豚場の車を見たという。 19時ごろ - 自宅に帰って着替える。 22時ごろ - 食事と入浴の後に就寝。床に入ってからしばらくすると、兄が単車に乗ってずぶ濡れで帰宅してきたという。 しかし無罪主張に転じてからのアリバイは家族の証言以外の裏付けがなく、遊園地でもパチンコ屋でも小学校でも荷小屋でも石川の姿は目撃されておらず、もともと家族と口裏を合わせてアリバイを偽っていた経緯もあり、裁判では事実と認定されていない。東京高裁判決における「石川うそつき論」 を非難している狭山弁護団の松本健男も、アリバイをめぐる石川の虚言については争っていない。
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