真珠湾攻撃と通商破壊作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 05:30 UTC 版)
「伊号第二十五潜水艦」の記事における「真珠湾攻撃と通商破壊作戦」の解説
太平洋戦争開戦時、第六艦隊第1潜水戦隊第4潜水隊に所属。11月21日、伊25は横須賀を出港。12月5日1430、オアフ島北西沖で米哨戒機8機を発見し、深度30mの位置へ潜航。真珠湾攻撃時にはオアフ島北東沖で哨戒をしており、真珠湾の方向から複数の爆発音を聴取。9日夜、浮上充電中に伊6がオアフ島沖を東北東へ向け航行中のレキシントン級空母1、巡洋艦2隻を発見したため、迎撃に向かった。10日0415、オアフ島北方沖を浮上航走中に米哨戒機の攻撃を受けたため急速潜航。30分後、潜望鏡深度に浮上した際に爆雷攻撃を受けたため回避。11日、荒天の中を浮上航走中大波に襲われて司令塔の窓ガラスが破損。負傷者4名を出した。 14日、アメリカ西海岸沿岸における通商破壊作戦に参加し、コロンビア川河口沖を哨戒。18日0845、コロンビア川河口西方10浬地点付近で浮上航走中、白い光を放つ船を発見。攻撃準備中、船は前方の暗闇へ消えていった。20分後、右舷艦首前方に米ユニオン・オイル社タンカーL・P・セント・クレア(L. P. St. Clare、8,066トン)がいるのを発見し、魚雷を発射。火柱が上がったため命中したと確認。L・P・セント・クレアは沈没するだろうと判断したが、実際にはL・P・セント・クレアには魚雷は命中していなかった。 19日、潜航して速力を上げた際に騒音が出ているのがわかり、さらに艦のトリムが前方に傾斜しているため調査したところ、格納筒に浸水していることがわかった。12月22日、ロサンゼルスとサンフランシスコの間の海域に移動。 1942年(昭和17年)1月1日、オアフ島西南西100浬地点付近で伊3が発見した米機動部隊の迎撃に向かった。3日0530、米哨戒機を発見したため潜航して退避。4日0845、米PBY カタリナ3機を発見。6日1900、遠方で照射される探照灯を発見。8日1900、.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯11度39分 西経177度32分 / 北緯11.650度 西経177.533度 / 11.650; -177.533のジョンストン島南西沖で潜航中に空母を発見。空母は艦載機を発進させようとしているように見えた。伊25は2500mの距離で魚雷4本を発射し、4回の爆発音を聴取。護衛艦の推進器音がしていたため戦果確認はできなかったが、空母を撃沈したと判断。後に水上機母艦ラングレー(USS Langley, AV-3)と判断され、大本営発表で報じられたが、連合軍側に該当艦はなく、後に撃沈された本物のラングレーは大本営発表では「特設空母」と報じられた。 11日1130、クェゼリンに到着。午後、開かなくなった格納筒扉の開放作業中、突然格納筒扉が開く事故が発生し、乗員1名が死亡、1名が頭部に重傷を負った。2月1日、クェゼリンはマーシャル・ギルバート諸島機動空襲を受けるが、伊25に被害はなかった。その後迎撃に向かったが空振りに終わり、4日2100にクェゼリンに戻った。
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