真珠湾攻撃の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 00:44 UTC 版)
日本陸軍によるイギリス領マレー半島への上陸は成功し、その後、地上と海上の双方でイギリス軍に対する作戦を成功させマレー半島制圧へと進むこととなった。真珠湾でアメリカ艦隊が壊滅的打撃を受けたことは、この後の日本軍の南方作戦の展開に寄与することとはなったが、空母を撃ち漏らしたことと、日本軍は攻撃を艦船に集中したため修理施設や燃料タンクはほぼ無傷で、アメリカ海軍が損害から立ち直るのは日本軍の予想以上に早く、のちの戦況に大きな影響を及ぼすこととなった。 日本海軍は当時、短期間で勝利を重ね、有利な状況下でアメリカ軍をはじめとする連合国軍と停戦に持ち込むことを画策していたため、負担が大きい割には戦略的意味が薄いと考えられていたハワイ諸島に対する上陸作戦は考えていなかった。また、真珠湾攻撃の成功後、日本海軍の潜水艦約10隻を使用して、サンフランシスコやサンディエゴなどアメリカ合衆国西海岸の都市部に対して一斉砲撃を行う計画もあったものの、真珠湾攻撃によりアメリカ西海岸部の警戒が強化されたこともあり、この案が実行に移されることはなかった。 しかしそのような中で、フランクリン・D・ルーズベルト大統領以下のアメリカ政府首脳陣は、ハワイ諸島だけでなく本土西海岸に対する日本海軍の上陸作戦を危惧し、ハワイ駐留軍の本土への撤退計画の策定やハワイ諸島で流通されているアメリカ合衆国ドル紙幣を専用のものに変更するなど、日本軍にハワイ諸島が占領され資産などが日本軍の手に渡った際の対策を早急に策定していた。また、アメリカ政府首脳陣および軍の首脳部においては、日本海軍の空母を含む連合艦隊によるアメリカ本土空襲と、それに続くアメリカ本土への侵攻計画は当時その可能性が高いと分析されており、戦争開始直後、ルーズベルト大統領は日本軍によるアメリカ本土への上陸を危惧し、陸軍上層部に上陸時での阻止を打診するものの、陸軍上層部は「大規模な日本軍の上陸は避けられない」として日本軍を上陸後ロッキー山脈で、もしそれに失敗した場合は中西部のシカゴで阻止することを検討していた。
※この「真珠湾攻撃の影響」の解説は、「太平洋戦争」の解説の一部です。
「真珠湾攻撃の影響」を含む「太平洋戦争」の記事については、「太平洋戦争」の概要を参照ください。
- 真珠湾攻撃の影響のページへのリンク