真珠湾攻撃の引責
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/29 20:09 UTC 版)
「ハズバンド・キンメル」の記事における「真珠湾攻撃の引責」の解説
大日本帝国海軍による真珠湾攻撃により太平洋艦隊の戦艦とハワイ航空基地に甚大な被害を受けたアメリカは、12月17日の大統領命令で陸軍中将ウォルター・ショートハワイ方面陸軍司令官と共に司令長官解任。12月23日に最高裁判所判事オーウェン・ロバーツを長とするロバーツ査問委員会が開催されると証言を行うが処分は覆らなかった。アメリカ参戦後に復活した合衆国艦隊司令長官には大西洋艦隊司令長官アーネスト・キング大将が、太平洋艦隊司令長官の後任はニミッツ少将が大将に昇進して就任した。 大戦後アナポリス同期の友人だったハルゼー元帥は「サタデー・イブニング・ポスト」の自伝の中で「わたし(ハルゼー)のあらゆる経験の中で、これほどひどい逆境(真珠湾攻撃)のもとで、艦隊の効率を上げ、また戦争準備にこれほど懸命に尽くした合衆国艦隊司令官を、わたしはこれまで見たこともなかった。さらに、このときだれが指揮しようと、キンメルが実施した以上に為しとげることのできた士官など一人もいなかったに違いないとわたしは思っている」と擁護した。
※この「真珠湾攻撃の引責」の解説は、「ハズバンド・キンメル」の解説の一部です。
「真珠湾攻撃の引責」を含む「ハズバンド・キンメル」の記事については、「ハズバンド・キンメル」の概要を参照ください。
- 真珠湾攻撃の引責のページへのリンク