番組後期の展開、そして終了へ
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「全国歌謡ベストテン」の記事における「番組後期の展開、そして終了へ」の解説
文化放送が1976年(昭和51年)4月改編で『歌謡選抜』を立ち上げた後も、外部のタレントである高島忠夫を司会に投入したり、『歌謡選抜』と基本的に異なるランキングを作成したりするなどの策が行われ、1980年代に開始したニッポン放送の裏番組『全国歌謡ヒット速報』を7年間で終了に追い込むなど高い存在感を示してきたが、平成に入る頃から『歌謡選抜』以上に内容の陳腐化・構成のマンネリ化が進んだ。 また同じ土曜日昼間の放送で構成もほぼ同様だったTOKYO FM『コーセー化粧品歌謡ベスト10』(現・『COUNTDOWN JAPAN』)を、JFNは加盟全局フルネットとし、当時新たに開局したJFN加盟の県域FM局も対象となり、当番組と同様全国放送になった。このため、1990年(平成2年)10月改編で、『歌謡選抜』が『SUPER COUNTDOWN 50』にリニューアルすると、次の1991年(平成3年)4月改編で、歴代最長の14年間司会を務めた高島が降板。関根勤が新たな司会者に就任したが、この頃には文化放送でスポンサーが頻繁に交代しており、次第に番組の立ち位置が不安定となっていった。 この頃首都圏では、1989年の開局と同時にスタートしたbayfm『パワカン』(現・『POWER COUNTDOWN REAL』)が土曜日午後に移動してきて競合となる。 1994年(平成6年)4月改編では、『SCD50』を後輩の斉藤一美に譲った文化放送アナウンサー竹内靖夫が転入してくるが、平成不況で文化放送でもスポンサーが離れ、全編PT枠となった。その上同じ土曜深夜に放送されていた『さだまさしのセイ!ヤング』の打ち切りに伴って後継の『さだまさし大世界社』が移動してきた関係で、1970年以来となる日曜朝の放送に変更となった。 1996年(平成8年)10月改編で、司会が竹内の8年後輩にあたる太田英明に交代するが、ご意見番格だった伊藤強が降板し、長年当番組の売りの一つだった格調の高さが失われた。 そして1997年(平成9年)10月改編で、文化放送は『SCD50』に一本化して当番組独自のランキング作成を取りやめることになり、火曜会加盟の地方局でも直前の金曜日に放送された『SCD50』の上位10曲をそのまま紹介する録音番組『SUPER COUNTDOWN 10』に移行して、文化放送・火曜会版の放送は終了した。文化放送・火曜会版の最終回の1位は、GLAYの『HOWEVER』だった。 しかしこの動きに火曜会加盟局のKBS京都が反発し、翌週から自社製作のローカル番組として再スタート。放送回数も文化放送時代からの通しでカウントされ、2000年(平成12年)に通算2000回目の総合ランキングを発行。2002年(平成14年)12月29日の最終回は「第2100回」として放送された。KBS京都版の最終回の1位は、CHEMISTRYの『It Takes Two』だった。
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