番組後期の展開、そして終了へとは? わかりやすく解説

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番組後期の展開、そして終了へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 06:01 UTC 版)

全国歌謡ベストテン」の記事における「番組後期の展開、そして終了へ」の解説

文化放送1976年昭和51年4月改編で『歌謡選抜』を立ち上げた後も、外部タレントである高島忠夫司会投入したり、『歌謡選抜』と基本的に異なランキング作成したりするなどの策が行われ、1980年代開始したニッポン放送の裏番組全国歌謡ヒット速報』を7年間で終了追い込むなど高い存在感示してきたが、平成に入る頃から『歌謡選抜以上に内容陳腐化構成マンネリ化進んだ。 また同じ土曜日昼間の放送構成もほぼ同様だったTOKYO FMコーセー化粧品歌謡ベスト10』(現・『COUNTDOWN JAPAN』)を、JFN加盟全局フルネットとし、当時新たに開局したJFN加盟の県域FM局対象となり、当番組と同様全国放送になったこのため1990年平成2年10月改編で、『歌謡選抜』が『SUPER COUNTDOWN 50』にリニューアルすると、次の1991年平成3年4月改編で、歴代最長14年司会務めた高島降板関根勤新たな司会者就任したが、この頃には文化放送スポンサー頻繁に交代しており、次第番組立ち位置が不安定となっていった。 この頃首都圏では、1989年開局同時にスタートしたbayfmパワカン』(現・『POWER COUNTDOWN REAL』)が土曜日午後移動してきて競合となる。 1994年平成6年4月改編では、『SCD50』を後輩斉藤一美譲った文化放送アナウンサー竹内靖夫転入してくるが、平成不況文化放送でもスポンサー離れ全編PTとなった。その上同じ土曜深夜放送されていた『さだまさしのセイ!ヤング』打ち切り伴って後継の『さだまさし大世界社』が移動してきた関係で、1970年以来となる日曜朝放送変更となった1996年平成8年10月改編で、司会竹内8年後輩にあたる太田英明交代するが、ご意見番格だった伊藤強降板し、長年当番組の売り一つだった格調の高さが失われた。 そして1997年平成9年10月改編で、文化放送は『SCD50』に一本化し当番組独自のランキング作成取りやめることになり、火曜会加盟地方局でも直前金曜日放送された『SCD50』の上10曲をそのまま紹介する録音番組SUPER COUNTDOWN 10』に移行して文化放送火曜会版の放送終了した文化放送火曜会版の最終回の1位は、GLAY『HOWEVER』だった。 しかしこの動き火曜会加盟局KBS京都反発し翌週から自社製作ローカル番組として再スタート放送回数文化放送時代からの通しカウントされ2000年平成12年)に通算2000回目総合ランキング発行2002年平成14年12月29日最終回は「第2100回」として放送された。KBS京都版の最終回の1位は、CHEMISTRYの『It Takes Two』だった。

※この「番組後期の展開、そして終了へ」の解説は、「全国歌謡ベストテン」の解説の一部です。
「番組後期の展開、そして終了へ」を含む「全国歌謡ベストテン」の記事については、「全国歌謡ベストテン」の概要を参照ください。

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