畜生道について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 15:33 UTC 版)
覚一本の六道語りでは、畜生道は龍宮の夢の話になっている。しかし、他の五道が徳子の苦しみを伴う体験であるのに対して、畜生道だけが夢の話であるのは無理にこじつけた感がある。一方、延慶本・四部本・源平盛衰記は畜生道を兄(宗盛・知盛)との姦淫(道義に外れた男女の交わり)とする。宗盛・知盛・徳子は同母兄妹であり、これは近親相姦としか言いようがない。覚一本は琵琶法師のテキストとして作られた語り本であり、あまりに刺激的な近親相姦の話は削除せざるを得ず、代わりに龍宮の夢を畜生道に当てたと思われる。 仏教における畜生道は弱肉強食の世界であり、性的な意味は希薄である。しかし、中国では古来から匈奴などの北方民族の風習である「寡婦相続婚」「父子一妻婚」を人間以下の行為=禽獣と表現し、父子の別を重んじる儒教的見地から激しく嫌悪していた。畜生と禽獣は似たような言葉で混同されることが多く、禽獣の性的乱れという属性がいつしか仏教語の畜生に流入したものと見られる。 近親相姦の真偽は一切不明である。宗盛・知盛・徳子ら一門の人々が同じ船に乗るのは当然のことであるし、船内の様子を見ていたのは平氏の人々に限られる。平氏の人々が都に戻って、そのような悪意ある噂を流したとも考えにくい。したがって問題は、なぜ『平家物語』の編者がこのような話を六道語りに取り入れたかということになる。 中世の仏教は「所有三千界、男子諸煩悩、合集為一人、女人之業障(世界中の男性の煩悩を全て集めても、女性の一人分の業障に過ぎない)」「女人地獄使、能断仏種子、外面似菩薩、内面如夜叉(女性は地獄の使いで人の持つ仏性の種を断ってしまう。外面は菩薩のようでも、内面は夜叉のように恐ろしい)」といった言葉を生み出すなど女性差別的な傾向が強く、女性は男性とは違い修行ではなく苦難を経なければ悟りを得ることはできないとしていた。六道語りは『平家物語』の中で最も仏教的色彩の濃い部分であり、徳子を道徳的に貶める畜生道の語りも、当時の仏教における女性観を反映したものと推測される。 もっとも六道語りの畜生道を、そのような仏教的観点で全て説明できるわけではない。源平盛衰記は、徳子と宗盛の姦淫を都落ち以前にまで遡及させ、安徳天皇を宗盛の子としたり、徳子と義経の姦淫もあったと記す。これらは他本にはなく、源平盛衰記の加筆と判断して間違いない。源平盛衰記は荒唐無稽な話を多く挿入し、全体的に暴露趣味・露悪趣味といった傾向がある。零落した元中宮・国母に対して卑俗な視線を注いだ編者がいたことを示すものといえる。
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