現在の主な役職・活動
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拓殖大学大学院地方政治行政研究科特任教授および同大学地方政治行政研究所附属防災教育研究センター長。一般財団法人防災教育推進協会常務理事・事務局長。防災危機管理フォーラム代表。日本戦略研究フォーラム政策提言委員。共同ピーアール総合研究所客員研究員。政策研究フォーラム理事。ニューレジリエンスフォーラム事務局長。一般社団法人防災住宅研究所理事。NBCR対策推進機構副理事長。防災・危機管理政策アドバイザーとして全国の自治体で防災・危機管理対応の助言をしている。安全保障・地政学・領土問題にも詳しく特定非営利活動法人日本領土領海戦略会議政策顧問を務める。城郭研究家としての顔も持ち、城郭に関する書籍も出版、近江八幡市安土城復元推進協議会副会長も務める。 2004年3月11日、妻子と共に韓国が不法占拠している竹島へ本籍を移す。竹島問題については、国民の間で一般的認識が出来上がったので、当初の目的を果たしたと考え、現在(2017年11月~)は本籍地を東京都に戻している。 5月、民間団体「県土・竹島を守る会」の設立世話人となる[要出典]。 2005年10月、領土問題への取組みが評価され、7月に日本青年会議所第19回人間力大賞「会頭特別賞」を受賞[要出典]。 11月、日本政策研究センター研究員となる[要出典]。 2006年1月、日本青年会議所中国地区自立国家創造委員会委員長に就任[要出典]。 4月、日本文化チャンネル桜の番組「防人の道 今日の自衛隊」のキャスターに就任[要出典]。 2007年1月、日本青年会議所近現代史教育実践委員会副委員長に就任。安全保障・領土問題、防災・危機管理に関する講演、執筆活動を本格的に開始する。 9月、栃木市首席政策監(防災・危機管理担当兼務)に就任。 2008年10月から、國學院大學栃木短期大学講師を約1年間務めた[要出典]。 2010年9月、栃木市首席政策監での実績を買われ[要出典]、テイケイ株式会社(旧・帝国警備保障株式会社)常務取締役に就任。 10月から、芸能事務所のカートプロモーションに文化人として所属[要出典]。 2011年11月、拓殖大学客員教授に就任。その後、同大学日本文化研究所客員教授[要出典] 2012年3月、テイケイ株式会社を退職[要出典]。 4月から、株式会社防災士研修センター常務取締役( - 2015年3月) 5月に出版した『だれが日本の領土を守るのか?』では多くの媒体に書評が掲載される(産経新聞、夕刊フジ、月刊正論、朝雲新聞、月刊日本、國民新聞、歴史通、世界日報、明日への選択、祖国と青年、史、その他[要出典])。 7月からは、日本防災士機構の理事に就任(2015年3月に退任する) 2013年5月、一般財団法人防災検定協会の設立に伴い、常務理事・事務局長に就任する。 2015年4月、拓殖大学大学院地方政治行政研究科講師に就任する[要出典]。 7月、拓殖大学地方政治行政研究所客員教授に就任する。 9月、日本文化チャンネル桜の番組「防人の道 今日の自衛隊」の番組の終了に伴い、新番組「濱口和久の防災・危機管理塾」がスタートする[要出典]。 2016年3月、カートプロモーションの所属から離れる[要出典]。 4月、拓殖大学地方政治行政研究所附属防災教育研究センター副センター長(兼任・客員教授)に就任する。 4月、名称が一般財団法人防災検定協会から一般財団法人防災教育推進協会となり、引き続き常務理事・事務局長を務める(~現在)。 2017年6月、日本文化チャネル桜「濱口和久の防災・危機管理塾」が終了し、約12年間務めたキャスターを降りる。。 8月、防災危機管理フォーラム代表に就任(~現在)。 2018年4月、拓殖大学大学院地方政治行政研究科特任教授に就任(~現在)。 2019年4月、拓殖大学地方政治行政研究所附属防災教育研究センター長に就任(~現在)。 10月、日本戦略研究フォーラム政策提言委員に就任(~現在)。 11月、近江八幡市安土城復元推進協議会副会長に就任(~現在)。 2021年4月、共同ピーアール総合研究所客員研究員に就任。 5月、政策研究フォーラム理事に就任。 5月、ニューレジリエンスフォーラム事務局長に就任。 11月、特定非営利活動法人日本領土領海戦略会議政策顧問に就任。 2022年3月、一般社団法人防災住宅研究所理事に就任。 5月、NBCR対策推進機構副理事長に就任。
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