現代の復元
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1960年代と70年代のバロック音楽リバイバルは、17世紀・18世紀のダンス・スタイルへの関心を生じさせた。「ボーシャン=フイエ記譜法」に残されていた300以上のダンスがあったが、学問が真剣に記譜の解読とダンスの復元を始められることは20世紀中頃までなかった。 おそらく、現代のバロックダンス復元のパイオニアは、1950年代に数冊の歴史的ダンスの本を出したイギリスのMelusine Woodだろう。ウッドの研究は、教え子のBelinda Quirey、それにパブロワ・カンパニーのバレリーナで振付家のメリー・スキーピング(1902年 - 1984年)に譲られた。スキーピングは後に1960年代のロンドンの「バレエ・フォー・オール・カンパニー」のためにバロックバレエを復元したことで知られている。 歴史的ダンス研究の第2世代の指導的人物には、Quirey の教え子ウエンディ・ヒルトン(1931年 - 2002年)がいる。ヒルトンはWoodの業績をさらに自身の研究で補った。イギリス人のヒルトンは1969年にアメリカに渡り、1972年にはジュリアード音楽院の学部に参加し、1974年にはスタンフォード大学で自身のバロックダンス・ワークショップを開設し、それは25年間以上続けられた。 1964年、フランスのダンス史家フランシーヌ・ランスロ(Francine Lancelot。1929年 - 2003年)は歴史的なフランスのダンス様式に関する膨大な研究に着手した。1980年、フランス文化省大臣の提案で、ランスロはバロックダンス・カンパニー「リ・エ・ダンスリー」を設立した。1986年のジャン=バティスト・リュリの叙情悲劇『アティス』(Atys。1686年)の画期的上演におけるランスロの振付は、国をあげてのリュリ没後300年記念の一環だった。この上演でウィリアム・クリスティとレザール・フロリサンの名も上がった。1993年頃に「リ・エ・ダンスリー」は解散したが、このカンパニー出身の振付家たちがそれぞれの仕事を続けた。ベアトリス・マサン率いる「フェット・ギャラント」、マリー・ジュヌヴィエーヴ・マッセ率いる「L'Eventail」などがその中にいる。1996年、フランシーヌ・ランスロのバロックダンスのカタログ・レゾネ(Catalogue raisonné)『La Belle Dance』が出版された。 1976年、キャサリン・トゥロシー(1952年生。ダンス史家シャーリー・ウェインの教え子)はアン・ジャコビーとともに「ニューヨーク・バロックダンス・カンパニー」を設立し、国際的なツアーを催した。トゥロシーはジャン=フィリップ・ラモー『ボレアド』(1763年)初演の振付を行った(その作品は作曲者が生きている間上演されたことがなかった)。フランス後援の上演はラモー生誕300周年を祝うもので、指揮はジョン・エリオット・ガーディナーだった。トゥロシーはフランス政府から芸術文化勲章を授与され、さらに「New York BESSIE award for Sustained Achievement」も受賞した。
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