現代の復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/28 09:28 UTC 版)
1960年代までチャラパルタ奏者は減少の一途をたどった。1960年頃にチャラパルタ奏者はわずか2組4人しかいなかったとされるが、その後バスク民族主義が復興する過程で伝統楽器が見直され、一躍脚光を浴びるようになった。ギプスコア県サン・セバスティアン近郊のエルナニにエルナニ・チャラパルタ学校(Hernaniko txalaparta eskolaren)が設立されて以降、1980年代まで若い世代の間でチャラパルタは着実に拡大し、バスク地方外に進出した。1987年にはエルナニでチャラパルタ祭(Txalaparta festa)が初開催され、楽器への興味に加えて、新鮮なトレンドの見本市として機能している。 1990年代やそれ以降には、エルナニ・チャラパルタ学校などから新たな演奏者が生まれた。さらに、バスク地方全土に新しいチャラパルタ学校やワークショップが設立され、特にエルナニ、アライア、イルンの3自治体にあるチャラパルタ学校の質が高いとされている。現在では一人前のチャラパルタ奏者は60人を超えるとされる。木以外に鉄・石・ガラスなどを用いるようになり、和太鼓など他楽器との共演も試みられている。
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