刀工堀川国広へ与えた影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 05:21 UTC 版)
「本作長義」の記事における「刀工堀川国広へ与えた影響」の解説
顕長が伝来を記録する追刻銘のみを依頼したのか、磨上(すりあげ、元来長寸の太刀を短く切り詰めて仕立て直すこと)も含めて工作を依頼したのかは判明していない。しかし堀川国広が本作を研究する機会は十分にあったようであり、追刻銘に先立って1590年(天正18年)2月に国広作の写し(山姥切国広)が作られている。本作長義(本歌)と山姥切国広(写し)は峰の形状と樋先の位置関係などは正確だが反りを含めた全体の姿形と茎仕立てはあまり似ていないものの、本作をねらったことが明らかな相似形と両方の銘にある「天正十八年」「顕長」から両者が本歌と写しの関係にあることは大前提で語られており、現代の復元模造に対する意識と当時の刀工が持つ写しに対する意識が異なることが表れている。堀川国広の「慶長打(堀川打)」と呼ばれる相州伝に学んだ後期の作風は、本作を写したことが契機になったとみる説もある。
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