現代のファルマス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 23:44 UTC 版)
「ファルマス (メイン州)」の記事における「現代のファルマス」の解説
1765年、ケープエリザベス(当時はサウスポートランドを含んでいた)が分離した。1786年にポートランドが、1814年にはウェストブルックが分離したが、ウェストブルックとファルマスの境界は19世紀を通じて調整された。分離した理由は他のことよりも実際的な理由だった。1760年代までに人口が増加した、新しい教区が設立されており、地域の問題により適応できる地域社会の競合を生み出していた。現在のポートランドでは町の外郭部と中心部の間の距離について不平も出ていた。1859年までに漁業と農業が主要産業になっていた。その他の産業としては、造船所3か所、レンガ工場3か所、製材所、製粉所、皮なめし工場各1か所があった。1886年、町では長靴、短靴、錫食器、4輪馬車も製造していた。 1898年、ポートランド市からファルマス・フォアサイドまで路面電車が延伸され、町は近代に入った。この電車でファルマスのポートランドとの経済的結びつきが確立され、フォアサイド地区は隣接する都市住民がリラックスする地区となった。ポートランドのヤンキー・エリートが、1885年にポートランド・ヨットクラブ、1913年にポートランド・カントリークラブをファルマスに移した。これらは現在も営業されている。ポートランド・アンド・ヤーマス電気鉄道会社が、その沿線を開発するために、1899年にタウンランディングの北にアンダーウッド・スプリング公園を開設した。この公園の呼び物はカジノ、ホテル、屋外劇場だった。1907年の火事でアンダーウッド・スプリング公園が破壊され、再建されることは無かった。ルイストン・オーガスタ・アンド・ウォータービル路面鉄道も、ウェストファルマスの現在の州道100号線で運行された。住民は次第に自動車を好むようになり、路面電車が使われなくなって、1933年に廃線となった。 1943年、マクワース島が野生生物保護区として州に寄付された。現在は聾唖者のための州立学校が立てられている。 第二次世界大戦後、ファルマスは田園農業社会から、主にポートランド市の郊外住宅街に転換されてきた。カスコ湾が1941年から1944年までセイル・フォー・アメリカの駆逐艦隊基地になり、町に移って来た軍関係者がこの成長のきっかけになった。アメリカ合衆国の多くの都市部と同様に、1950年代の好況と、自動車がもたらした可動性とで、人々はポートランド市から外に出た。安い住民税や、解放空間への願望が、ファルマスのような隣接町への脱出を加速させた。その後の50年間で、町の人口は5,000人から10,000人以上に増加した。ファルマスが大洋に近くあることと、公共教育体系が認められていることで、ポートランド大都市圏の中でも魅力ある地域社会の1つになっている。この需要に合わせ、開発業者が1986年と1988年に2件のカントリークラブを建設した。このように閉じられた地区とその他上流階級の小地区の性格によって、町はメイン州でも最大級に裕福なものになってきた。 ポートランド・ヨットクラブ・ハウス、1894年 プレサンプスコット川、1910年頃 ウェストファルマス、1917年
※この「現代のファルマス」の解説は、「ファルマス (メイン州)」の解説の一部です。
「現代のファルマス」を含む「ファルマス (メイン州)」の記事については、「ファルマス (メイン州)」の概要を参照ください。
- 現代のファルマスのページへのリンク