現代のイヌクシュク利用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/12 10:24 UTC 版)
「イヌクシュク」の記事における「現代のイヌクシュク利用」の解説
イヌクシュクは、イヌイット文化のシンボルとして扱われ、カナダのヌナブト準州を示す旗や紋章、ヌナツィアブトの旗にも描かれている。イカルイトにあるイヌクシュク高校の名は、イヌクシュクにちなんで名づけられている。 イヌクシュク、特に人型のものについては、カナダという国家全体の象徴としても扱われるようになってきている。ケベック州、オンタリオ州、ヌナビク、ヌナブト準州のカナダ各地区の他、グリーンランド、オーストリア、デンマーク、ノルウェー各国で1999年に行われた国際的な北極芸術音楽祭ARBOS – Company for Music and Theatreの名前としてイヌクシュクが選ばれた。 2005年7月13日、カナダ軍は、長年デンマークとの間で領有権を争ってきた北極の小さな島ハンス島に、銘板、カナダの国旗、イヌクシュクを設置した。 カナダ国内には、オンタリオ湖岸に高さ9メートルのイヌクシュクも作られている。トロントのバッテリー・パークにあり、2002年7月に開催されたWorld Youth Day 2002を記念している。 ノースウエスト準州(現在はヌナブト準州)ランキン・インレットの芸術家Alvin Kanakは、バンクーバー国際交通博覧会に際し、バンクーバー市にイヌクシュクを寄贈した。土地は市の所有となり、保護されている。 イヌクシュクは、バンクーバーの芸術家エレナ・リヴェラ・マクレガーのデザインによる2010年冬季オリンピック公式エンブレムのデザイン元となった。その使用は、ブリティッシュコロンビア州内のイヌイットとその他ファースト・ネーションの間に論争を巻き起こした。デザインは疑問視されたものの、バンクーバーのイングリッシュ・ベイに立つイヌクシュクに、敬意を表したものとして受け入れられた。イングリッシュ・ベイの彫刻と2010年オリンピック公式エンブレムは、世界の友好と歓迎を意味する[要出典]。全部もしくはその一部をカナダ政府が公認したイヌクシュクは、オーストラリアのブリスベン、メキシコのモンテレイ、ノルウェーのオスロ、アメリカ合衆国のワシントンD.C.、グアテマラのグアテマラシティの5か所にある。 カナダが寄贈した最新のイヌクシュクは、2007年10月、西カナダのイヌイット人芸術家Bill Nasogaluakにより、メキシコのモンテレイ、サンタ・ルチア・リバーウォークに造られたもので、カナダ商工会議所のモンテレイ支部とカナダ政府から、支部の十周年を記念してヌエボ・レオン州北部の人々に贈られた。作者はイヌクシュクの材料となる岩をモントレイ付近の地元の採石場から自分で選び出した。また作者が、1つはカナダの北極圏から、もう1つは作家の地元トロントから、メキシコへと運び込んだ岩2つも使用されている。どちらもイヌクシュクの心臓に使われている。 またイヌクシュクは、「案内と統一・・・共通のゴールへ」を暗示するものとして、米州首脳会議のシンボルとしても使われている。 通常、ハイカーやキャンパーが作ったイヌクシュクは、カナダ国内のどの公園でも管理センターが解体している。これは、ハイキングコースを示すマーカーや石塚と見分けがつかず、利用客を混乱させる恐れがあるからである。公園内にイヌクシュクを築く習慣が広まっており、オンタリオジョージア湾の北岸にあるキラーニー州立公園では2007年に「イヌクシュクの進入禁止」を利用客に訴える通知を出している。 北オンタリオ地方の、トランスカナダハイウェイに沿った地域に多数のイヌクシュクが作られている。2010年、サドバリーの『 Northern Life 』紙記者が試みたところ、サドバリーからパリーサウンドにかけての69号線沿いに、93基のイヌクシュクが数えられたという。記者は、ルート沿いに2基のイヌクシュクを作った人物を取材している。この人物は、家族の葬式から車で帰る途中「止まってそうする必要があった場所で、私は『夢を満たす』瞬間を得た」と語っている。 ギネス世界記録によれば、最も高いイヌクシュクは、カナダオンタリオ州ヨーク地域の Schomberg にある。2007年に建てられたもので、11.377 m の高さがある。 カナダのロックバンドラッシュは、1996年発行のアルバム『 Test for Echo 』のカバーデザインに、孤立するイヌクシュクを採用した。
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