珍獣の見世物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 09:09 UTC 版)
見世物の演目として珍獣を見せることも行なわれた。珍獣の見世物は江戸時代、寛永年間ころに猪、孔雀を見せたのが最初であると言われている。虎や狼、鶴、鸚鵡などに曲芸をさせることは、寛文年間ころからあった。 生類憐れみの令によって一時はこの種の見世物が下火になったが、享保2年に禁が解かれると再び流行した。以後、八頭八足の牛、三本足雞といった奇形の動物、獏や鯨、ガラン鳥、インコ、雷獣、山嵐、駝鳥、水豹、白牛といった輸入動物の見世物もあった。文政4年の駱駝の登場は大変な人気を博し、梁川星巌はそれを見て作詩し、その詩が文人間で愛唱され、その意味で、夫婦が一緒に歩くことを「駱駝」と言うようになったことは頼山陽の書簡に見られる。珍獣の展示は浅草の花屋敷で常設化され、今の動物園につながっていく。 天保年間には豹、白狸、六足犬、岩獅子、火喰鳥などの見世物もあった。 この他、大きな板に血糊を付けた物を大イタチ、大きな穴に子供を入れて大穴子と称する駄洒落や、猿、犬、鯉などの遺体を組み合わせて作り上げたものを、鬼や河童、龍、人魚など伝説の生物のミイラとして見せることもしていた。これらは常設化され秘宝館となる。 近代に入り、外国からの動物の輸入機会の増加・万国博覧会に伴う動物園人気に伴って珍獣をメインに取り扱う見世物小屋も大正~昭和にかけて増加したが、太平洋戦争を前に動物達の脱走・飼料の確保の困難さから殺処分される例が後を絶たず、終戦後も『ワシントン条約』に代表される国際的な希少動物取引の規制、動物愛護の機運の高まりによる愛護団体の反対活動に伴い、動物をメインとした見世物については表舞台からは姿を消しつつある。
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