ジェームズ・ジーンズは、1931年の著書 “The Mysterious Universe” で、猿のたとえ話の起源は「ハクスリー」(おそらくトマス・ヘンリー・ハクスリーを指すのであろう) にあるとした。これは誤りである[1]。今日ではさらに、つぎのように言われることもある——1860年6月30日に、オックスフォードで開催されたイギリス科学振興協会(英語版)でハクスリーがチャールズ・ダーウィンの『種の起源』をめぐり国教会オックスフォード主教サミュエル・ウィルバーフォース(英語版)と交わした伝説的な論争 (1860年オックスフォード進化論争) の際に、ハクスリーが例として引いたのだ、と。この逸話は根拠に乏しいばかりか、1860年代にはタイプライター自体がまだ出現していなかったという事実があるため、信じがたい[2]。霊長類の扱いは、別の理由で論議の的となっていたのである。ハクスリーとウィルバーフォースの論争には、猿に関わるこんな一幕があった——主教は祖母と祖父どちらの家系から猿の血を引いているのかとハクスリーに問うた。ハクスリーは、主教どののように不正直な弁論をなさる御仁の血よりは猿の血を引く方がましとの旨を答えた[3]。
アルゼンチンの作家ボルヘスは、1939年の「完全な図書館」(La biblioteca total) と題したエッセイで、無限猿の観念の歴史をアリストテレスまで遡って論じた。『形而上学』(μεταφυσικ) でアリストテレスは、原子(アトム)のランダムな組み合わせによって世界が現出するというレウキッポスの見かたを紹介し、原子自体はそれぞれ類似的だが、形態、配列、位置の差別が起こりうるのだと説明している。また彼は『生成消滅論』(περ γενσεω και φθορ, De generatione et corruptione) で、この考えかたを同じような「原子」つまりアルファベットの文字から悲劇でも喜劇でも作り出せるということにたとえている[4]。3世紀後のキケロは『神々の本性について』(De natura deorum) で、このような原子論者の世界観に反駁した。
ボルヘスの完全な図書館の観念は、よく知られた1941年の短篇『バベルの図書館』(La biblioteca de Babel) の主題となっている。ここで描かれるのは、六角形の部屋が無数につながってできた想像を絶する規模の図書館であり、アルファベットと若干の句読記号でもって書かれうるどんな書物でも、そのどこかに納まっているとされている。
ドーキンスが述べたシミュレーション実験では簡単なコンピュータプログラムを使う。このプログラムは、ランダムに打ち出される語句のうちすでに目的のテクストと一致した部分は固定していくことにより、ハムレットの台詞 “METHINKS IT IS LIKE A WEASEL”(「おれにはイタチのようにも見えるがな」〔小田島雄志訳〕)を生成する。この実験の要点は、ランダムな文字列の生成は生の材料を提供するだけであり、自然淘汰こそが情報を与える役割を担っている、という点である[28]。
物理学者のアーサー・エディントンは、1928年の『物的世界の本質』(The Nature of the Physical World) で、ある容器に気体が満たされているときに、気体分子がいっせいに容器の一方の側へ向かって運動するようなことが起こる機会 (見込み) を、打鍵猿の比喩を用いて次のように解説した。
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^キケロー, マルクス・トゥッリウス『神々の本性について』山下太郎訳、2巻37 (93節)頁。底本 Mayor, J. B. (1883-91). M. Tulli Ciceronis De Natura Deorum Libri III. Cambridge 所収『キケロー選集』 11巻、岩波書店、Dec. 2000、p.148頁。ISBN 4-00-092261-0。
^ abボルヘス, ホルヘ・ルイス『完全な図書館』45号、土岐恒二訳、筑摩書房、Jan. 1973(原著August 1939)、14-16頁。、原著 Borges, Jorge Luis (Agosto de 1939). “La biblioteca total”. Sur (No. 59).
^この定理を常套句として使っている例としてはつぎのようなものがある。ウィーナー, ノーバート『発明』鎮目恭夫訳、みすず書房、Jul. 1994(原著Jun. 1954)、pp.115f頁。ISBN 4-622-03952-4。「〔…〕真に重要な新しいアイディアが、低級な人間活動の多数参加と、既存の数々のアイディアを、その選択を第一級の頭脳が指導することなしに、偶然的に組み合わすことによって得られると期待することは、サルとタイプライターの愚のもうひとつの形態である。〔…中略…〕そのサルとは、現代の大研究所で働く科学者たちの多くを言い換えたものにほかならない〔…〕」 (原著Wiener, Norbert (1993). Invention: The Care and Feeding of Ideas. introduction by Steve Joshua Heims. Massachusetts Institute of Technology)。また、Arthur Koestler (1972). The Case of the Midwife Toad. New York. pp. p.30. "実際、新ダーウィン主義は19世紀唯物論の刻印をとどめているが故に、限界に突き当たっている——まぐれ当たりに適切なキーを叩き当ててシェイクスピアのソネットを生み出せると主張する、タイプライターを前にした猿についての俚諺のようなものである。"(The Parable of the Monkeysより翻訳重引)。ケストラーはこれに先立つ『機械の中の幽霊』(1967年)でも、当時の新ダーウィン主義を機械論的、還元主義的な「猿とタイプライター」の理論であると評している(8-12章)。また、Jonathan W. Schooler, Sonya Dougal (1999). “Why Creativity Is Not like the Proverbial Typing Monkey”. Psychological InquiryVol. 10 (No. 4). 標題は「創造性を打鍵する猿にたとえられないわけ」。
^Ute Hoffmann & Jeanette Hofmann (2001), Monkeys, Typewriters and Networks, Wissenschaftszentrum Berlin fr Sozialforschung gGmbH (WZB), http://skylla.wz-berlin.de/pdf/2002/ii02-101.pdf(英語). Berthoin Antal, Ariane and Camilla Krebsbach-Gnath (eds.), ed (2001). “Monkeys, Typewriters and Networks. Das Internet im Lichte der Theorie akzidentieller Exzellenz”. Wo wren wir ohne die Verrckten? Zur Rolle von Auenseitern in Wissenschaft, Politik und Wirtschaft. Berlin: edition sigma. pp. pp. 119-140(ドイツ語)
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