湯前線多良木 - 東免田間列車衝突事故
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「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「湯前線多良木 - 東免田間列車衝突事故」の解説
1970年(昭和45年)11月15日 湯前線(現・くま川鉄道湯前線)湯前駅から逸走した貨車2両が、多良木駅下り場内信号機の外方170 m付近に停止中であった気第623D列車に衝突し、旅客111名(重傷1名、軽傷110名)と、気動車運転士1名が負傷した事故。 貨第371列車(10両)の牽引機関車は、定時に湯前駅1番線に到着し、貨車6両を持って安全側線に引き上げ、3番線に留置中の貨車14両に連結した。しかし、多良木駅方の貨車2両(コトラ41426号積車、コトラ45402号積車)が転動し、31号転轍機を割出し、逸走した。入換監視中の当務駅長は、貨車2両が51号転轍機付近を転動中であることに気づき追走したが、これに及ばず、貨車が本線に逸走したため、駅本屋に戻り、多良木駅に通報し、逸走した貨物2両の停止手配方を依頼した。通報を受けた多良木駅当務駅長は、接近中の気第623D列車に対して下り場内信号機に停止信号を現示させ、逸走中の貨車2両の進路を2番線に構成しようとしたが間に合わず、貨車2両は、時速約60キロメートル(km)で多良木駅1番線を通過した。そして駅下り場内信号機の外方170メートル(m)付近に停止中であった気第623D列車に衝突し、停止した。 原因は、湯前駅3番線に留置中であった貨車14両のうち多良木駅方から2両目と3両目の貨車間の連結器が連結されていなかったこと、多良木駅方から1両目の車側ブレーキを緩解したこと、3番線の鉄製車輪止めを早期に解放したこと、貨車の逸走したことの通報が遅延したことである。 すでに車両逸走事故の対策としては、1968年4月5日の函館本線野幌駅で発生した故障のため解放した気動車が逸走した事故、1969年11月28日の士幌線士幌駅で発生した入換中に不連結の貨車7両が逸走した事故により、車両逸走のおそれのある駅を要注駅として鉄道管理局長が指定し、車両の留置方、入換作業方法、転動時の停止手配などについて再指導を行い、車両逸走の注意を促す逸走注意警標を設置する、木製車輪止めより性能のすぐれた鉄製車輪止めが開発されたため車両逸走のおそれのある留置線に設置するという対策がとられた。しかし湯前駅で発生した事故にかんがみ車両逸走事故防止対策が見直され、車両が逸走してくるおそれのある駅を隣接駅として要注駅から逸走してきた車両が到達する時分、進入速度を予測計算し具体的な停止手配の方法を検討し、通報、停止手配訓練を春と秋との年2回実施するという対策が追加された。 逸走車両に対する停止手配器材は、ヘムシュー、砂袋、布団、畳、枕木などを整備してきたが、停止手配訓練を実施したところ、ヘムシューを除いて停止効果がほとんどなく、時速30キロメートル(km)以上の高速度における停止効果が認められなかったため、新しい有効な停止手配器材の開発を行うこととなり、北海道総局の実験線における効果の確認などを経て1972年1月、新しい停止手配器材(カーキャッチャー)が開発され、順次整備された。
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