渡米以後とは? わかりやすく解説

渡米以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 04:35 UTC 版)

マルセル・デュシャン」の記事における「渡米以後」の解説

第一次世界大戦中1915年渡米しニューヨークアトリエ構える。1919年、いったんフランスへ帰国以後アメリカフランス行き来しつつ、おもにアメリカで活動するアメリカにはルイーズ&ウォルター・アレンスバーグ夫妻という、デュシャンパトロンとなる人物がいた。以後デュシャン主要作品はほとんどがアレンスバーグ夫妻コレクションとなり、フィラデルフィア美術館寄贈され一括展示されている。また、コレクターキャサリン・ドライヤー美術家写真家マン・レイとも親交結んでいる。 1915年制作始められ1923年未完のまま放棄された、通称大ガラス』は、デュシャン仕事を語る上で欠かすことができない。これは、高さ約2.7メートル2枚透明ガラスの間に、油彩、鉛の箔、場所によっては「ほこり」で色付けをした作品である(マン・レイ大ガラス撮った「埃の培養」という作品残している)。上部の「花嫁」の領域下部の「独身者」の領域分けられるが、この作品構想各部分の表す意味については、難解哲学的なメモ類(『グリーンボックス』など)が残っており、これらを分析することでデュシャンでなくとも「大ガラス」を再制作することが可能である(東京大学瀧口修造東野芳明監修のもと再制作された『大ガラス東京バージョン1980年)があるほか、ウルフ・リンデ(英語版)によるストックホルムバージョン(1961年)と、リチャード・ハミルトンによって作成されたロンドンバージョン(1966年)が存在する)。そのため、「ガラス」と「メモ」の両方合わせたものが一つの「作品」であると考えられている。作者自身はこの作品について晩年インタビューで「美学的に鑑賞されるものではなく、『メモ』と一緒に見るべきのである」「『美学放棄ということ以外には特別の考えなく作ったものだ」と言明している。なお、オリジナル大ガラスにはひびが入っているが、このひび割れ意図的に入れたものではなく1926年輸送中の取り扱い不備により偶然生じたのだったデュシャン意図しない「偶然」によって、作品新たな要素付け加えられたことを喜んだ先述のように大ガラス以降デュシャンは自らの作品をつくることに興味喪失したかのようであったが、『トランクの中の箱(デュシャンそれまで作品ミニチュアのように一つトランク収めたもの)』などそれまで作品のミニチュアコレクションとも言うべきものを作成したり、マン・レイ、キャサリン・ドライヤーとソシエテ・アノニム(株式会社という意味)を運営し芸術作品目利きをつとめるなどした。また、ダダシュルレアリスム展覧会にも展示会場のデザインなどで、散発的に協力しており、活動中心を担うことはしないものの、常に周辺にいて、存在感発揮した

※この「渡米以後」の解説は、「マルセル・デュシャン」の解説の一部です。
「渡米以後」を含む「マルセル・デュシャン」の記事については、「マルセル・デュシャン」の概要を参照ください。

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