深刻化する経済混迷へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 21:23 UTC 版)
「サルバドール・アジェンデ」の記事における「深刻化する経済混迷へ」の解説
米国のニクソン政権はキリスト教民主党右派(フレイ派)に対する資金提供を続けた。その結果、同党は右派が牛耳るようになり、1971年末ころから同党は国民党をはじめ他の野党とともに人民連合政府を批判するようになった。さらに1972年6月には人民連合内部での路線対立が尖鋭化した。アジェンデはキリスト教民主党との妥協を図り、社会主義的な経済政策を追求するブスコビッチ経済相を更迭し、物価凍結令を解除した途端に急速にインフレが進行、チリエスクードは公定レートに比べ、実質レートは6倍以上となった。経済回復を重視しようにも、外貨浪費のため、改善の方法が限られた。更に、アジェンデは社会党強硬派アルタミラーノを抑えることができず、国会運営は混迷していった。しかし経済の衰退に歯止めがかからず、チリ国内では悪性のインフレが進行し、物資が困窮して社会の混乱を招いた。 同年9月にトラック所有者連盟のストライキが始まったが、このストは10月に入ると全国的な規模に拡大し、1ヶ月以上続くことになった。このような国内の混乱に対抗し、内戦の危機に備えてアジェンデは軍から立憲派の陸軍司令官カルロス・プラッツ将軍を入閣させた。トラック所有者のストは11月に終息したが、経済の衰退に歯止めがかからないことには変わらず、極右と極左の衝突、混乱は激しさを増すことになった。 こうした混乱の源泉は、米国政府とその背後にある米国多国籍企業にあることをアジェンデは見抜いていた。一方、農村の急速な国有化で、アジェンデ政権の3年間で、小麦の収量は3分の一以下に激減していた。政権下彼は1972年12月の国連総会の場でチリの現状を訴え、多国籍企業の蛮行を糾弾した。とりわけ、長年にわたってチリの銅を搾取し続けた米国企業については次のように手厳しく語り、スタンディングオベーションを浴びた。そして、モスクワを訪問してクレジットを要請したが、回収の見込みが薄いと、本来友好国であるはずのソ連にまで見放された。 これらの企業はチリの銅を長年にわたって搾取してきました。過去42年間だけで40億ドル以上の利益をチリから持ち出しましたが、彼らの初期投資は3000万ドルにすぎません。これがチリにとって何を意味するのかを示す痛ましい例を挙げましょう。我が国には、生まれて8か月の間に最低限の量のタンパク質が与えられなかったがゆえに通常の人間らしい生活を送ることが生涯できないであろう子供たちが60万人います。40億ドルもあれば完全にチリを変えることができるでしょう。その額のごく一部だけでも、我が国のすべての子供たちのタンパク質を確保するに十分なのです。 — サルバドール・アジェンデ
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