海底地震計の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 04:47 UTC 版)
1960年代の大学院生当時、プレート・テクトニクスの黎明期でプレートが生まれるところ(海嶺)も、消えるところ(海溝)も海底にあることが分かり、プレートの動きをいちばん精密に現場で知ることが出来る海底地震計を開発することを、指導教官だった浅田敏らと開始した。(海底でプレートの動きを直接測る観測は不可能である。地震はプレートの動きの結果として起きるもので、その地震がどこに、どのようなメカニズムで起きるかを調べることで、プレートの微細な動きを知ることが出来る。) 当時は使い物になる海底地震計は世界中にまだなく、世界の20ほどの研究グループが競って海底地震計の開発を始めていた「戦国時代」だった。激しい研究開発競争(『地球の腹と胸の内――地震研究の最前線と冒険譚』に詳しい)の結果、世界のほとんどのグループは落伍し、島村らのグループ(浅田は定年で去り、島村は東大から北大に移り、金沢敏彦、稲谷栄己、岩崎貴哉、卜部卓ら若手が加わった)が勝ち残った。この開発の難しさは、宇宙ロケットなみの信頼性とともに、人間の足音を100メートル先でも感じるほどの高感度の地震観測を数千メートルの深海底で行うための高度の電子・機械技術が必要だったことに起因している。 このため、島村らは自ら足を運んで東京・羽田空港の裏手に拡がる町工場や、ジャンク電気部品が集まる東京・秋葉原を巡って、海底地震計のための部品を集めた。海底地震計はこうして手作りで作られた。 こうして、世界でももっとも高感度で、しかも小型軽量で、どんな小さな船(あるいはヘリコプター)でも設置できる海底地震計が完成して、島村のグループは、世界各地のプレート・テクトニクスの要点になる海域各地で、広く観測を行った。 海底地震計による観測には二種類あり、ひとつは「自然地震観測」、もうひとつは「人工地震を使った地下構造の研究」である。前者はふだん起きているごく小さな地震を観測することによって、その海域でのプレートの動きが精密に分かる。地震の85%までが海底に起きている日本近海での海底地震のありさまが、こうして精密に知られるようになった。陸上にある地震計で海底に起きた地震を観測することは、小さい地震が観測できないだけではなく、陸と海の地下構造が違うために、震源や地震のメカニズムを精密に知ることが出来ない大きな難点を持っていた。 他方、地下構造の探査は、諸外国の観測船が石油探査など地質調査用にすでに備えていた大型エアガンという人工震源と島村らの海底地震計を組み合わせることによって、いままでの地質調査では海底下せいぜい4~5キロメートルしか探れなかったのに対して、深さ50キロメートル以上まで調査できるようになった。 このように、海底下の地下構造の研究を飛躍的に進歩させることが出来たので、1990年代ごろからは海底地震計とエアガンを組み合わせて海底下の地下構造を調査することが、世界の標準的な手法になってきている[要出典]。
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