洪門組織
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清朝乾隆帝の治下にあっては、洪門は既に瓦解していた。明朝を復活させる希望はなく、民間における反清情緒はすでに収まっていた。それに伴い、乾隆はアメと鞭を使い漢人を重用したため、反清組織は既に存在しなくなっていた。それに代わって興ったのが地方性の組織で、宗教的な意味合いを持つ白蓮教、相互補助的な性質を持っていた天地会などが知られている。これらの組織は保護費、賭場経営、売春、アヘン館などを収入源とし、低層の者は盗み、誘拐、詐欺などを生業とした。 白蓮教 南宋を初めに活動が見られる。清朝中期、自称白蓮教徒達は四川、陝西、湖北あたりで政府に対する武装反抗を行い、川楚教乱と呼ばれた。 天地会 清初、福建沿海地区では人民は生活に困窮し、自発的に相互補助組織として天地会を組成した。1761年までは、雲龍和尚を指導者とした。その後反地方政府型組織となり、反清運動に加入した。 入会時は拇指を天に指し、小指を地に指す、または左手の中間の三指で胸を押さえる。加入すれば、結婚及び葬式時に資金の援助を受けることができ、他人との紛争時には助力を受けることができ、強盗に遭った際には暗号を示せば侵されず、会をより広めれば金銭が貰えた。 拝上帝会 1843年に洪秀全によって成立された、太平天国の全身である。 三合会 天地会は乾隆によって反清組織とされ、加入した者は死刑を処された。そのため広東に伝わったとき、満人を欺くために洪の水偏だけを取り、三点会とした。しかしこれでは洪門をうまく表せないため、三合会と改名された。その後湖南に伝わり「哥老会」となり、そこからさらに「潘門」、別称「潘家」、「慶幇」と分かれた。天地会は広く伝わり、その他にも「清水会」、「匕首会」、「双刀会」、「紅旗会」、「剣仔会」、「八卦会」、「添弟会」、「致公会」、「紅幇」、「胞哥」などの名称がある。 三合会はまた太平天国と辛亥革命に協力した。 哥老会 中国共産党の指導者の一人朱德元帥は若いときに哥老会に入ったことがあり、その助けを得た。 義和団 清末、山東から河北にかけて存在した秘密結社。“扶清滅洋”(清を助け西洋を斥ける)をスローガンとし、1900年の義和団の乱(拳匪之乱)を引き起こした。 華記 マレーシアの華人黒社会組織にして青幇の支派で、長い歴史がある。 マレーシアの“洪門”ともども香港の三合会と密接な関係を持っている。 紅花会 金庸による武侠小説『書剣恩仇録』における創作。
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