池部家の関係者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 10:01 UTC 版)
「いだてん〜東京オリムピック噺〜」の記事における「池部家の関係者」の解説
池部スヤ(いけべ スヤ) (春野スヤ → 池部スヤ → 春野スヤ → 池部スヤ) 演:綾瀬はるか(幼少期:原島凛々) 四三の幼馴染で、のちに四三を陰で支える妻となる人物。 女学校に通う頃から四三に思いを寄せていたが、名家・池部家との縁談を受け、四三がストックホルムへ旅立つ直前に池部家に嫁入りし、渡航費用の工面に奔走する実次の金策に協力する。最初の夫である重行の亡き後は、姑・幾江の計らいで池部家の養子となった四三と再婚する。しかし、ベルリン五輪に向けて大志を抱く四三の思いを尊重し、東京に戻る四三を熊本で見送る。 その後は手紙のやり取りのみを続け、大正4年(1915年)4月に上京した際も、堕落の入り口として帰されてしまう。しかし、その年の6月にベルリン五輪の中止が発表されると再び上京。四三を励まし、四三とともに播磨屋の二階で寝起きを始める。そして東海道五十三次駅伝競争における四三の走りを見届けて、熊本に帰る。またそれと同時期に、第一子を授かる。その後、身重の体でまた上京するが、マラソンに没頭する四三とは行き違いとなり、不安を募らせる。しかし、オリンピックで金メダルを取りそれから初めて妻を周りに紹介したいという四三の思いを日記から知り、播磨屋を後にする。その帰りの市電で四三から渡されたお守りを握りしめて熊本でお産、大正8年(1919年)4月28日に長男の正明を出産する。 アントワープオリンピックの際には、幾江とともに四三の金メダルを願う。その後の報告会には実次と出席。壇上に上がった選手たちへの非難や二階堂の激しい糾弾を目にし、記者たちを一喝。日本人で初めてフルマラソンを完走した四三を讃えるとともに、四三と一緒に走った若いマラソン選手たちを労う。またこの時に四三の妻であることを自ら表明する。そしてその後、四三がベルリンから帰った頃にまた播磨屋での同居を再開する。関東大震災時には熊本に子とともに帰っていたが、四三とともに上京し東京で救援活動を行う。 昭和42年(1967年)、四三と共にストックホルムオリンピック開催55周年の記念式典に出席する。 春野先生(はるの せんせい) 演:佐戸井けん太 石貫村の医師。スヤの父。信彦の治療を担当していた。 池部重行(いけべ しげゆき) 演:髙橋洋 玉名村の庄屋。スヤの最初の夫。 妻となったスヤが四三を応援することに理解を示し、スヤと共に金栗家を訪れ応援の宴に興じる。 元々病弱だったこともあり、ストックホルムオリンピック閉幕後に死去する。 池部幾江(いけべ いくえ) 演:大竹しのぶ 池部重行の母。 スヤの紹介で、四三の渡航費用の借金を願い出る実次に対し、金栗家の畑を買収し同家に無償で貸し出すという名目で金を贈与する。 重行の死後は自死を考える程に落ち込むが、実家に出戻り懸命に生きるスヤの姿を見て立ち直る。そんな嫁のスヤを気に入り手放したくない思いから四三を養子に迎え、二人の結婚を要請する。しかし四三が卒業後も五輪出場を目指し東京に残る旨の手紙を送ってきたことから、実次に対し「約束が違う」と怒りを露わにする。 関東大震災で四三が熊本に帰ってきた際は、東京から逃げてきたのだと四三に対して怒り、東京に戻って罹災者を助けるよう促す。そして大量の救援物資を用意、韋駄天の由来になぞらえて人々に物資を与えるように言い、四三を送り出す。 実次が死去した際は、実次の死に寂しがる様子を見せる。この頃には自身もまた急激に老け込んでおり、そのことが四三の熊本へ帰るきっかけとなる。 その後、四三が再び上京することを許すが養母として情が移ったことを自覚し、思いの丈を四三に伝える。 池部正明(いけべ まさあき) 演 : 久野倫太郎(乳児期:矢作龍琉 四三の長男。大正の「正」と明治の「明」から命名される。 池部政子 演:若柳琴子 /田河也実 四三の長女。 池部文子 演:隅乃倉ひろみ /尾崎丹子 四三の次女。 池部すみ子 演:林凛果 四三の三女。 池部よし子 演:林里香 四三の四女。 池部元子 演:山中美子葉 四三の五女。
※この「池部家の関係者」の解説は、「いだてん〜東京オリムピック噺〜」の解説の一部です。
「池部家の関係者」を含む「いだてん〜東京オリムピック噺〜」の記事については、「いだてん〜東京オリムピック噺〜」の概要を参照ください。
- 池部家の関係者のページへのリンク