民主党への再編とは? わかりやすく解説

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民主党への再編

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 05:53 UTC 版)

社公民路線」の記事における「民主党への再編」の解説

いっぽう細川連立政権のなかで連立残留派だった山花赤松らは、さきがけ鳩山由紀夫と共にそれぞれ脱党して民主党結成1996年第41回総選挙では民主党現状維持新進党不振社会民主党1月社会党より改称)と、同党左派分裂した新社会党惨敗した新進党自民党との保保連合模索するが、却って自民党議員引き抜かれる結果終わり、さらに太陽党フロム・ファイブ分裂した1997年12月31日新進党解散し民社系は新党友愛公明系は新党平和に再編された。ただ、一部小沢率い自由党に留まった。 1998年1月新党平和と公明合同し公明党戻った4月民主党新党友愛議員たちが、元自民党保守派議員いっしょに加わることによって、旧民主党をいったん解散し改め新・民主党として再編旧社会党と旧民社党による公明党抜き統一実現することになった。だが民主党のなかでの、旧社会党と旧民社党との確執は、憲法改正などの諸問題どのような姿勢を取るのかを通して依然として残存し民主党党内意思統一を行うに当たり大きな妨げとなり続けた小沢自由党は、1999年1月自民党連立政権組み10月には公明党加わった(ただし、4月から公明実質的に閣外協力していた)。しかし2000年4月決裂連立残留派保守党として分裂した(のち自民党吸収)。2003年9月小沢自由党民主党合流した民由合併)。民主党参加した小沢は、以前とは逆に社民党民主党内の社会党議員との協調路線転じた。これは、党内政策的距離の遠い社会党系を取り込むことで、党内地盤固め狙いがあったという説もある。11月小沢社会党議員領袖横路孝弘の間で、国際貢献のために、将来国連軍への再編想定した国連待機部隊」を創設することで合意した2009年8月第45回総選挙では、民主党社民党の他、国民新党などと選挙協力行った選挙の結果民主党大勝し社民党国民新党との連立政権民社国連立政権)が発足した。しかし長続きせず、2010年5月普天間基地移設問題決裂し社民党連立離脱したその後民主党三党合意などによる自公との連携強め新たな形の「自公民(民自公路線」に転じた2012年12月自公政権復帰すると、民主とは再び距離を置くようになり、民主対決色を強めた2015年には共産党野党共闘路線転じ共産党含めた自公選挙協力態勢議論されることになったしかしながら旧社会党総評系と旧民社党同盟系の間で共産党との関係に大きな温度差生じることになり、民進党解体一因にもなった。

※この「民主党への再編」の解説は、「社公民路線」の解説の一部です。
「民主党への再編」を含む「社公民路線」の記事については、「社公民路線」の概要を参照ください。

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