民主党への合流とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 14:50 UTC 版)
「自由党 (日本 1998-2003)」の記事における「民主党への合流とその後」の解説
2002年、民主党側から民主党と自由党の合併が提案された。民主党代表の鳩山由紀夫の失脚など紆余曲折があったが、自民党に対抗する勢力を結集するためとして鳩山の後任代表である菅直人と折衝を重ね、2003年7月23日、民主党と合併することで合意した。自由党は9月26日に解党し、民主党に吸収合併された。合併に際しては合併前の民主党の執行部、規約、政策を踏襲する方式がとられた。 小沢一郎は2016年に再び、「生活の党と山本太郎となかまたち」から党名変更する形で自由党の名称を復活させたが、新生自由党は新自由主義に反対し、政治的にも民共共闘にも参加するなど社会自由主義的な政党であった。こちらも2019年に民主党の後継政党の一つ(法的には民主党と同一政党)である国民民主党への合流が決まった。
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