民主党を離党後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:20 UTC 版)
「佐藤夕子 (政治家)」の記事における「民主党を離党後」の解説
2011年3月3日、3月13日に名古屋市議選で名古屋市長の河村たかしが代表を務める地域政党・減税日本の候補が立候補をするのを応援するために、民主党に離党届を提出。民主党幹事長の岡田克也から慰留・名古屋市会議員選挙終了後再度対話の提案をされたものの、「気持ちは変わらない」と断った。民主党愛知県連は佐藤の除名を求めていたが、民主党執行部が衆議院再可決に必要な議席の確保を優先して佐藤との関係悪化を避けて5月13日に民主党離党届は受理。5月18日に衆議院民主党会派から離脱した。 なお、2009年の衆院選で民主党政権が誕生して以降、政治資金疑惑や政治活動の責任を取って離党したのではなく、民主党執行部の方針に反発して民主党所属の現職国会議員が離党表明をするのは初めて。 2011年6月2日に採決された菅内閣不信任決議(菅おろし)については「復興支援は長期にわたり、増税路線の菅首相を信任することはできない」と不信任票を投ずる可能性を示唆していたが、実際の投票では棄権した。また同年8月30日の衆議院本会議における内閣総理大臣指名選挙では投票者(自身)の名前は書いたものの白紙投票したため、唯一の無効票となっている。
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