梁 (春秋)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 09:48 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動国姓 | 嬴姓[1] |
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爵位 | 伯[2] |
国都 | 梁(陝西省渭南市韓城市の南) |
分封者 | 周の平王 |
始祖 | 嬴康 |
滅亡原因 | 秦の穆公により滅亡 |
史書の記載 | 『春秋左氏伝』(始見は桓公九年) |
周朝諸侯国一覧 |
梁(りょう)は、春秋時代の嬴姓の諸侯国。同族の秦に隣接し、秦の穆公により滅亡した。周の平王により秦仲の子の公子康を夏陽の梁山(現在の陝西省渭南市韓城市の南)に封じられたことに始まった[3][4][5]。
歴史
紀元前822年、秦仲は西戎との戦いで戦死した。周の平王即位後、秦仲の功が認められ、秦仲の子の嬴康が梁伯に封じられ、夏陽の梁山(現在の陝西省渭南市韓城市の南)に梁を建国した[3][4][5]。
紀元前703年、虢・芮・梁・荀・賈の五国の君主が晋の曲沃武公(後の晋の武公)を討伐した[2]。
紀元前654年、晋の公子夷吾(後の恵公)は梁に出奔した[6]。梁伯は梁嬴を公子夷吾に嫁がせ[1]、懐公が産まれた。
紀元前642年、梁伯は城邑の建設が好きで、新しく城邑を建設したが、秦に奪取された[7]。
紀元前641年、梁は同族である秦の穆公により滅亡した。『春秋左氏伝』によると梁の民は梁伯の役使に堪えれず、秦に服属したとある[8]。
脚注
注釈
引用
- ^ a b 楊伯峻:《春秋左伝注・僖公十七年》,中華書局1990年5月第2版,第372頁。
- ^ a b 楊伯峻:《春秋左伝注・桓公九年》,中華書局1990年5月第2版,第126頁。
- ^ a b 『元和姓纂』巻五・十陽・梁:秦仲有功,周平王封其少子康于夏陽梁山,是為梁伯。
- ^ a b 『通志二十略』氏族略第二:梁氏:嬴姓,伯爵,伯益之後。秦仲有功,周平王封其少子康于夏陽梁山。
- ^ a b 『広韻』:本自秦仲,周平王封其少子康于夏陽梁山,是為梁伯,後為秦併。子孫奔晋,以国為氏。
- ^ 楊伯峻:《春秋左伝注・僖公六年》,中華書局1990年5月第2版,第313頁。
- ^ 楊伯峻:《春秋左伝注・僖公十八年》,中華書局1990年5月第2版,第379頁。
- ^ 楊伯峻:《春秋左伝注・僖公十九年》,中華書局1990年5月第2版,第384頁。
「梁 (春秋)」の例文・使い方・用例・文例
- 梁がゆがんで柱からずれている
- 橋梁工事の間は通行止めになる。
- 梁を支えるために柱が2、3本必要だ。
- 橋梁の付属物
- 彼は将来国家の棟梁たるべき器だ。
- 梁が屋根をささえている。
- トラックが橋梁に接触した。
- この梁は2階の重さに耐えられないだろう。
- この本によれば、最初の人工橋梁は新石器時代にさかのぼるという。
- 鋼鉄の梁(はり)を用いた骨組み.
- どっしりした梁(はり)が天井を支えている.
- 大工の親方, 棟梁(とうりよう).
- これらの梁(はり)が屋根の重さを支えている.
- 梁(はり)にかかる屋根の圧力.
- 梁(はり)に頭をぶつけないように注意しなさい.
- これらの梁(はり)が屋根を支えている.
- 通しの梁(はり).
- 会社はその橋梁工事を入札で落とした.
- 橋梁を架設する
- 橋梁築造
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