テキストと注釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 01:07 UTC 版)
中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。どの系本かは不明の説文解字 許慎が著したそのままの形を伝えるテキストは存在しない。唐の時代に書写されたと推定される残巻が一部残っている(下記参照)が、これも許慎による成立から700年近くが経過している。この残巻は親字に懸針体という細長い書体が使われており、これが篆書体の初期の形である可能性がある。現在、伝わっている篆書体は丸みを帯びた形をしているが、これは8世紀後半に篆書家の李陽冰によって改められた可能性がある。 説文解字の主なテキストには、10世紀半ば頃の南唐の徐鍇による『説文解字繋伝』(小徐本)と宋の徐鉉による『説文解字』(大徐本)がある。南宋の李燾が大徐本の部首の順序および部首内排列を韻書の順序で並べなおした『説文解字五音韻譜』を作ると、これが大徐本よりも広く普及した。小徐本・大徐本が再び世に出るのは清代に訓詁学が盛んになってからである。
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テキストと注釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 14:42 UTC 版)
『春秋』という書物は単独では現存していない。一般に『春秋』(春秋経)と呼ばれているものは、戦国から前漢にかけて製作された「伝」と呼ばれる注釈書に包括されて伝えられたものである。現存している伝は『春秋左氏伝』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』の3つであり、あわせて春秋三伝(しゅんじゅうさんでん)と呼ばれる。 この三伝が伝えるそれぞれの『春秋』には若干の異同が見られる。扱う年代も『公羊伝』『穀梁伝』は哀公十四年春(獲麟)までであるのに対して、『左氏伝』の春秋は経が哀公十六年夏(孔子卒)まで、伝が哀公二十七年まである。いずれの伝を選択するかによって主張が異なるため、歴代王朝で論争の的となった。とりわけ、漢代に起こる今文学と古文学の間の論争が顕著である。
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