テキストから授業書へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:23 UTC 版)
1965年6月に板倉は「(理科)教科書の機能と形態について」の手稿の中で、はじめて「授業書」という語を用いた。それ以後板倉の論文には「授業書」の語が頻出する。板倉は1961年から日本科学史学会の20周年記念事業の『日本科学技術史大系』の編集に携わり、「教育」の3巻を中心に編集し、日本の理科教育史を研究していた。板倉は教科書史を調べるうちに、歴史上に仮説実験授業のテキストに近いものはあるが、同じようなものは全く無いことを確認した。そこで板倉は「テキスト」という言葉では、仮説実験授業の「授業科学」としての革命的な形式と内容が伝わらないと考えた。 板倉は1965年6月の手稿で「教科書論を研究するようになって、自分たちのテキストの特徴をはっきりと科学教育史上に位置づけさせることができたので、授業書という名前をつけた」と述べている。板倉はそれまでに無かった新しい概念を表すために最もふさわしい言葉として「授業書」という言葉を発明した。板倉は、授業の真似できる部分とそうで無い部分を吟味し、問題と実験以外にも「読みもの」や「扱う法則や概念の説明のしかた」などもあることを確認していき、それを「授業書概念」に定着させることに成功した。 板倉は「授業書は授業(教師と生徒集団)そのものに課題を与えてその授業の進行について具体的な指示を与え、「授業書」の指定通りに授業を展開することを要求するものであって、一般の教科書とは、その形態の上でも、機能の上でも、著しい違いを持っている。そこで「授業書」という名称を与えることにしたのである」と述べている。
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