息 (春秋)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 14:06 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動国姓 | 姫姓 |
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爵位 | 侯 |
国都 | 鄎(河南省信陽市息県) |
分封者 | 不詳 |
始祖 | 不詳 |
滅亡原因 | 楚の文王により滅亡 |
史書の記載 | 『春秋左氏伝』(始見は隠公十一年) |
周朝諸侯国一覧 |
息(そく)は、周代の諸侯国。鄎とも言う。爵位は侯爵。国君は姫姓。春秋時代初期に楚の文王によって滅亡し、その地に楚の県が設置された。
歴史
紀元前712年、息は鄭を討伐した。当時、鄭の荘公は数年間、宋や衛等の大国を打ち負かしていた。当然ながら息師は大敗した。『春秋左氏伝』隠公十一年は息の出征の評価の中で、息師の自信過剰に対する批判が含まれている。童書業には、息は当時単独で鄭を討伐しようとしていたため、その軍事力は決して弱くないと評価している[1]。
紀元前684年、蔡の哀侯は息侯[2]の夫人の息嬀に非礼を働き、息侯は激怒した。楚に偽って息を攻撃し、援軍としてやってきた蔡を撃つよう申し入れた。楚の文王は同意し、蔡師は大敗し蔡の哀侯は捕虜となった[3]。蔡の哀侯はこれを恨みに思い、息嬀が美人であると楚の文王に吹き込んだ。楚の文王は息を滅ぼし息嬀を娶り、生まれた両子が楚の堵敖と成王である。楚の文王は息嬀を寵愛し、紀元前680年には蔡を討伐した[4]。『春秋左氏伝』荘公十七年に楚文王「実県申息」、楚が息を滅ぼし県を設置したと記載がある。
脚注
- ^ 童書業:《春秋左伝研究(校訂本)》,中華書局2006年8月第一版,第53頁。
- ^ 清華簡《繋年》読札之“息息侯” Archived 2015-07-10 at the Wayback Machine.
- ^ 『春秋左氏伝』荘公十年
- ^ 『春秋左氏伝』荘公十四年
参考資料
- 楊伯峻《春秋左伝注》ISBN 7101002625
- 童書業《春秋左伝研究》ISBN 7101051448
「息 (春秋)」の例文・使い方・用例・文例
- うちの息子はまだちゃんと足し算ができない
- 彼がパリを出立してからは,だれも彼の消息がわからない
- 息子は来年成人になる
- 息子が亡くなって彼女は一気に老けてしまったようであった
- 彼は幼い息子にその物語を読んで聞かせてやった
- 彼の息子はいつもクラスメートを困らせている
- うちの息子は3つの大学に出願します
- 母親は仕事の手を休めて息子の言い分を聞いてやった
- 父親は息子ひとりひとりに部屋を割り当てた
- 彼はその無謀なドライバーに対して息子の死の復讐をした
- 彼女は息子のために500ドルの保釈金を払った
- 息をのむほど美しい光景
- 息子よ,どんどんやればよい.私がいつも応援しているから
- 彼には確か2人の息子があったと思うがね
- その両親はひとり息子を交通事故で失った
- 息子の使った費用の請求書を私に送ってください
- 彼は息子の出産に立ち合った
- 彼はレースのあとで息を切らしていた
- 彼女は息子の勇気を自慢した
- そのカウボーイは,たきつけに息を吹きかけて火をおこした
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