学問の授受
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 14:39 UTC 版)
『穀梁伝』の授受が明白となるのは、前漢の宣帝前後からである。これは宣帝が『穀梁伝』に好意的であることから始まったものである。これ以前、『穀梁伝』は前漢の始めにいたとされる江公以来、細々と継承されるのみであった。しかし宣帝はその『穀梁伝』に対する執着から、時の伝承者蔡千秋に命じて、郎官十人に『穀梁伝』を伝授させ、『穀梁伝』の盛行を図った。これと前後して劉向などの著名な学者も『穀梁伝』を修めた。こうした後、宣帝は公羊学と穀梁学との異同と優劣を定めるべく、石渠閣(図書館のこと)にて学者に議論させた。そこでは公羊学と穀梁学の優劣が多くの学者によって戦わされたが、宣帝の趣向も影響して、穀梁学が勝利を収めた。しかしこれが『穀梁伝』の最盛期で、以後は書物こそ失われなかったものの、衰微の一途をたどり、南北朝の時代には書物のみ存在し、伝の思想を伝える師は絶えていなかったと言われている。
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