学問の自由と教育の自由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 14:49 UTC 版)
「学問の自由」の記事における「学問の自由と教育の自由」の解説
従来の通説的見解は、憲法23条の学問の自由から導き出される教授の自由を大学における教授の自由と解してきた。その理由は、1.沿革的に学問の自由は大学における教授の自由のみを含めてきたものであること、2.大学における教授の自由は学問研究の結果を公表する自由であるのに対して、教育の自由は教育を受ける者に対して教育を受ける権利を充足するための精神的活動であり性質を異にすること、3.大学における学生には批判能力が備わっていると考えられるのに対して、初等中等教育機関の児童生徒には批判能力が十分でないこと、4.初等中等教育機関においては教育機会の均等を実現するために合理的範囲で教育の内容や方法について画一化が要請されることが挙げられる。 これに対して憲法23条の学問の自由を大学のみならず初等中等教育機関の教育の自由にも拡大する学説がある。この学説はドイツ法的伝統にとらわれることなく学問と教育の内在的関連を強調する。 このほかの学説として、教育の自由は憲法上の権利であり学問の自由がその不可欠な前提となっていることを認めつつ、学問の自由と教育の自由の差異に着目し、憲法23条の学問の自由には教育の自由は含まれず日本国憲法第26条もしくは憲法的自由として保障されるとする説がある。 判例では、当初、最高裁が東大ポポロ事件で「教育ないし教授の自由は、学問の自由と密接な関係を有するけれども、必ずしもこれに含まれるものではない。しかし、大学については、憲法の右の趣旨と、これに沿って学校教育法五二条が「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究」することを目的とするとしていることとに基づいて、大学において教授その他の研究者がその専門の研究の結果を教授する自由は、これを保障される」と判示していた(最大判昭和38・5・22刑集17巻4号370頁)。下級審では第二次家永訴訟第一審判決(いわゆる杉本判決)が教育の自由を憲法23条の学問の自由の一環と位置づけたが(東京地判昭和45・7・17行集21巻7号別冊1頁)、第一次家永訴訟第一審判決(いわゆる高津判決)が東大ポポロ事件最高裁判決を引用して学問の自由は初等中等教育機関の教育の自由を含まないとした(東京地判昭和49・7・16判時751号47頁)。 その後、最高裁は旭川学力テスト事件(最大判昭和51・5・21刑集30巻5号615頁)において、まず教育の自由という観点から「子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法二六条、一三条の規定上からも許されない」とし、教育の自由は学問の自由に「必ずしもこれに含まれるものではない」としていたポポロ事件判決を実質的に判例変更している。また、教師の教育の自由については「専ら自由な学問的探求と勉学を旨とする大学教育に比してむしろ知識の伝達と能力の開発を主とする普通教育の場においても、例えば教師が公権力によって特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において、また、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならない」として教師の教育の自由を否定していた従来の通説的見解をさらに一歩前に進めた。そのうえで大学とは異なり普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることはできないとし、その理由として判決は「大学教育の場合には、学生が一応教授内容を批判する能力を備えていると考えられるのに対し、普通教育においては、児童生徒にこのような能力がなく、教師が児童生徒に対して強い影響力、支配力を有することを考え、また、普通教育においては、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があること」を理由として挙げている。
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