学問のルールに乗らなかった綿ふき病
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 21:59 UTC 版)
「綿ふき病」の記事における「学問のルールに乗らなかった綿ふき病」の解説
N農婦が岡山大学附属病院を退院した2年後の1969年(昭和44年)1月、東京都杉並区の高井戸保健所(現、杉並保健所高井戸保健センター)の所長になっていた増田は、日本医事新報2332号に『学問のルールに乗らなかった綿ふき病』と題した小記事を寄稿した。この中で増田は詐病の烙印を押されたことに対する不満をぶつけ、研究が進まないまま終わってしまった無念さを滲ませている。烙印を押した側は誰一人として人為的に綿を挿入する瞬間を見ていないのである。俗な言葉であるがと断りつつも増田は、N農婦は10年近くにわたって観察し続けた田尻医師も当院スタッフの誰に対しても「ボロ」を出さずに今日に至っているのだと述べている。
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