架け替えの議論と進展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 00:51 UTC 版)
余部橋梁の架け替えは1960年代に検討され、結論として旧橋梁の補強改良案が採用されたことで、以降は保守・補強作業に留まっていた(前述)。 列車転落事故後は風速規制を 25 m/s から 20 m/s に強化したことで運休や遅延がたびたび発生し、1994年 - 2003年にかけての年間平均値で、列車抑止120回、運休84本、特に冬季に発生し、沿線地域の通勤・通学や経済活動に大きな影響が出ていたことから、これらの不具合解消を目的として1991年(平成3年)3月に鳥取県や兵庫県をはじめとする地元自治体などで組織する「余部鉄橋対策協議会」(会長・井戸敏三兵庫県知事)が設立され、取り組みを開始した。対策案としてバイパス新線建設が検討されたが、既設駅移転や事業費が多額となる面から見送られた。別案として旧橋梁への防風壁設置が1994年(平成6年)3月から検討され、風洞実験などから補強した防風壁は強風に対応可能であることが確認されたが、旧橋梁の老朽化もあって長期的に安全性を確実に担保することが難しいことから見送られ、JR西日本側から地元に対して2001年(平成13年)11月22日に新橋梁の建設が提案された。 2002年(平成14年)7月25日に開かれた余部鉄橋対策協議会の臨時総会で、地元側は架け替え推進の方針を決定した。同年12月に「余部鉄橋定時性確保のための新橋梁検討会」(座長: 松本勝京都大学教授)を設置して、大学教授、JR西日本、鉄道総研、地元の関係者などが新橋梁に対しての各種案件の検討を行った。その結果として経済性が高く運休期間が比較的短期で済む「PCラーメン橋」案で評価がまとめられた提言書が2003年(平成15年)9月1日に兵庫県知事に向けて提出された。 新橋梁の構造設計は、ジェイアール西日本コンサルタンツが担当した。その検討の結果、PCラーメン橋では桁高が大きくなることが判明し、余部鉄橋対策協議会での検討も受けて、2005年(平成17年)3月に最終的に採用された構造形式は「エクストラドーズドPC橋」(エクストラドーズド5径間連続PC箱桁)となった。 鳥取県議会は寝台特急「出雲」が2006年(平成18年)に廃止されたことに関連して、橋梁架け替えへの資金提供をやめる可能性も表明していたが、結果的に3億2000万円の助成を行った。 総事業費約30億円のうち、2割の6億円をJR西日本が負担し、残りの24億円のうち鳥取県側は4.8億円、兵庫県側は19.2億円を負担した。
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