東日本大震災発生後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 21:18 UTC 版)
「日本の原子力発電所」の記事における「東日本大震災発生後」の解説
福島第一原子力発電所事故が発生する約1か月前に、既存の原子力発電所の延命方針が打ち出された。老朽化で運転を終える原子力発電所の廃炉処置の困難さに加えて、二酸化炭素排出削減策としてである。2010年(平成22年)3月に営業運転期間が40年以上に達した敦賀発電所1号機をはじめとして、長期運転を行う原子炉が増加する見込みであることから、これらの長期稼働原子炉の安全性が議論となった。 2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災による津波で、福島第一原子力発電所が全電源喪失によって炉心溶融と原子炉建屋の水素爆発が発生し、放射能汚染を東北・関東地方に及ぼした。 詳細は「福島第一原子力発電所事故」を参照 その影響により、原子力発電所の増設計画の是非や、点検などによって停止した原子力発電所の再稼働の是非などが焦点となり、今後の日本の原子力政策のあり方に関する議論が、日本国政府や国会、またマスメディアなどで大きく取り上げられるようになった。 この事故により、福島第一原子力発電所の原子炉は4基が2012年(平成24年)4月20日に廃止され、残る2基も2014年(平成26年)1月31日に廃止された。新たに建設が予定されていた2基についても計画が中止された。また事故の影響により、2013年(平成25年)に浪江・小高原子力発電所の建設計画が中止され、2019年(令和元年)には福島第二原子力発電所も全基が廃止された。 また、原子力発電所が集中している福井県の若狭湾沿岸では、1586年の「天正地震」とそれによる津波で大きな被害が出たことが、東日本大震災を受けて調査した敦賀短期大学教授・外岡慎一郎(中世日本史)らの調査で、複数の文献に記されていることが明らかになった。吉田兼見が書いた『兼見卿記』や、ポルトガル人宣教師・ルイス・フロイスが書いた『日本史』などである。 関西電力はこうした文献の内容を把握していたが、津波による大きな被害はないと説明していた。これに対しては地元からも不安の声が上がっており、文献から想定される被害に即した対策を求めている。このとき関西電力が調査しなかった場所(高浜原発3・4号機近く)で、2015年6月に福井大学等の研究チームが、津波の痕跡と推定できる14-16世紀頃の砂層を発見している。しかし津波が天正地震によるものと結論付けられる根拠が少なく、規模も不明であり、また関西電力も安全対策には影響しないとしている。 2014年4月時点では、24基が原子力規制委員会に再稼働申請されていたが、再稼働できるのは20基以下と推測された。そのため原子力発電量は東日本大震災前と比較して半減し、震災前には28%あった全発電量に占める原子力発電の割合も、15%程度に低下すると予測された。 2015年4月27日、美浜1号機と2号機、玄海1号機、敦賀1号機の4基が廃炉となった。同年4月30日には、島根原子力発電所1号機が廃炉となった。その結果、2015年には日本の原子力発電所は42基となった。 2015年8月11日、川内原子力発電所1号機が福島第一原子力発電所事故後に制定された新規制基準での稼働を、全国で初めて再開した。
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