東京大学藤井澄二研究室
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当初は制御工学の講座ができるということで助教授に就任したが、実際は車両工学の講座ができたため、藤井は制御工学と車両工学双方の研究を行った。車両工学の研究は自動車の振動問題や車両のだ行動の研究に加え、人間を含めた制御系など、人間工学、制御工学も関連した研究に発展した。また、架線・パンタグラフ系の設計法を提案し、東海道新幹線の実現に貢献している。 1956年には教授に昇任し、同大学の評議員、工学部長、総長特別補佐などを務めていく。また、国際自動制御連盟(英語版)(自動制御の国際組織)や人間工学会において、教育カリキュラムを検討する委員会でも活躍した。 東京大学の機械工学科に原子力の研究会ができ、藤井も炉の制御や放射性物質を扱うマニピュレータについて考えるようになった。マニピュレータの遠隔制御ではスレイブ側の反力をマスター側に返す必要があり、双動のあるバイラテラルサーボの研究を行うようになった。これが後にロボット研究に発展する。1965年頃から論理機械や計算機による人工の手の研究を開始し、1970年代には双腕マニピュレータの目標値修正制御、座標変換による書字動作、動的制御(速度のある制御、くぎ打ちロボットなど)、視覚認識、移動ロボットの制御などの研究が行われた。この時期の藤井澄二研究室は、後のロボット制御のほとんどの基があると言われる程の実績を上げた。 社会的活動として、機構と機械の国際組織IFToMM(英語版)に日本も参加するため、早稲田大学の加藤一郎教授や電気通信大学の石川二郎教授とともに、1978年に日本IFToMM会議を立ち上げている。更に1980年には、第58期の日本機械学会会長を務めた。行政関係においても、研究行政、産業技術行政、運輸技術行政、防災技術行政(消防庁、東京都)、交通機関における安全化と高速化の技術開発といったプロジェクトに参画し、指導的な役割を担った。
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