有神論的サタニズムの価値観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 09:10 UTC 版)
「有神論的サタニズム」の記事における「有神論的サタニズムの価値観」の解説
創世記において人間に知恵の樹の実を食べることを勧めた蛇をサタンと同一視することに基づき、知識の追及がサタンにとって重要だと考える有神論的サタニストもいる。両性具有の知識(グノーシス)の享受者というエリファス・レヴィの描くバフォメットをサタンとみなす者もいる。また、ルシフェリアンのようなある種のサタニストのグループはより高度なグノーシスを得ようとしている。そうしたサタニストの中には前述のOphite Cultus Satanasのようにヤハウェをグノーシス主義のいうデーミウルゴスとみなし、サタンをそれ以上の超越した存在とみなす者もいる。 有神論的サタニストにとって自己の発展は重要である。というのは、サタニズムにおいてサタンとは個人主義と自由思想を慫慂し、魔術や秘儀伝授といった方法によって反抗に対して自己を高める追求だからである。サタンはアブラハムの神が行っているよりも対等な関係を信者と結ぶことを望んでいると彼らは信じている。有神論的サタニストから見ると、アブラハムの宗教(主にキリスト教)は善悪を人間にとって利益となるか害悪となるかで定義せず、神に服従するか反抗するかで定義している。自身が他者にコントロールされたり抑圧されたり群衆に従わされたりする手段を除去しようとし、政府以外の権威を拒否するサタニストもいる。 旧約聖書のサタンが人々を試すように、サタンは人々が個人として発展できるように試練を課すのだと信じる有神論的サタニストもいる。彼らは自身が責任を担うことを尊ぶ。自己発展を強調するにもかかわらず世界や人類に対するサタンの意志が存在すると信じるサタニストもいる。彼らはサタンの意志がもたらされる助けとなることを期待し、祈り、学習、魔術によってそれを得ようとしているものと思われる。聖書において「この世の神」と呼ばれる存在がコリントの信徒への手紙二4:4で言及されているが、キリスト者はこれを一般にサタンと同一視する。そのため、サタンは祈りや魔術の行使に応じてこの世における欲望を満たすのを助けてくれるのだと考えるサタニストもいる。しかし、彼らは自分たちの目標を達成するためには毎日できることをするのも必要である。 有神論的サタニストは自分たちの宗教を全体として否定的に表すような、そしてナチズム、虐待、犯罪といったステレオタイプを修正するようなイメージを広めないようにしていると思われる。しかし、Order of Nine Angles(ONA)のように、サタニズムの良いイメージの流布を強調することを批判するグループも存在する; ONAはラヴェイ派サタニズムを「弱く、混乱したアメリカ的な『偽サタニスト集団、気取り屋』」とみなしており、ONAのメンバーのスティーヴン・ブラウンは「セトの寺院は大衆に良い印象を与えることにだけ熱心だ」と主張している。ONAは自分たちのやり方が「危険であり、もともとそう運命づけられて」おり、「真のサタニストは知るだけで危険な人々である; 彼らと親交を結ぶのにはリスクが伴う」ということを強調している。同様に、the Temple of the Black Light (TotBL)はサタン教会を批判し、セトの寺院は「セト主義と闇の支配者セトを社会に受け入れられる無害なものにしようとしており、これは彼らがユダヤーキリスト教社会に受容・認知される『大きな』宗教になろうとして行っているのである」と述べている。TotBLはキリスト教・ユダヤ教・イスラームを「魂を高め全てのものの反対であり、この汚れた世界で美しく、気高く、高潔な小さきものを殺す点でのみ良い」とみなしている。 サタニストの間には動物を供犠に捧げることに関する議論が存在する。ほとんどのグループはそれを不必要なうえにサタニズムに悪印象を与えるものとみなし、TotBLのようなそうした供犠を実践する数少ないグループとは距離を置こうとしている[どれ?]。
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