更なる開発へとは? わかりやすく解説

更なる開発へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 01:38 UTC 版)

日本の宇宙開発」の記事における「更なる開発へ」の解説

より大型固体ロケット開発一足飛びには進まなかった。宇宙科学研究所政府に対して今後10年程度技術的にロケット直径を1.4m以上に大型化できないだろうと言う予測報告し宇宙開発事業団ともこの大きさ線引きをしており、さらに国会制限をかけたため、大型化困難になったためである。 宇宙開発事業団初期には独自の液体ロケット開発を行う予定であったが、差し迫った実用商業的なロケット必要性から、アメリカ日米宇宙協定を結び米国からの技術導入運びとなったアメリカデルタロケットの1段目液体エンジン利用し国内開発行っていたLE-32段目に設置した液体ロケット計画始めた。こうしてN-1ロケット開発された。しかし、最初液体ロケットとなったN-Iロケット軌道への投入能力低く衛星製作する能力米国劣っていた。このため1977年には米国からの技術移転作られ静止気象衛星ひまわりアメリカロケット打ち上げたまた、さくらやゆりなども米国ロケット打ち上げてもらったN-Iロケット製造技術管理手法のみの技術取得であったが、こまめに記録取り宇宙開発事業団徐々に技術を身につけ、衛星でもひまわり2号機以降国産化率高めていった。 これ以降宇宙開発事業団大型化する衛星要求を満たすためにN-Iロケット後継であるN-IIロケット開発始め2段目はノックダウン生産変え、300kg近いひまわり2号静止軌道投入することに成功した。これらのロケットアメリカデルタロケットライセンス生産アメリカ部品ノックダウン生産でありロケット自体は非常に質のよいものであったが、衛星アポジモーターなどはブラックボックスになっており失敗したときに改善するにも情報がなかなか手に入らなかった。このためロケット全体自主開発することが必要となり国産での開発始めた新しく開発されH-Iロケットは独自で研究開発行った液体燃料ロケットLE-5エンジン実用化し、2段目をこのロケットエンジン変えたLE-5は再点火できること特徴でこの特長によりN-IIより強力になり、H-Iロケット静止軌道への投入能力は500kgを超えた宇宙開発事業団生産したロケット多く商業衛星打ち上げるために使われ急速に増えた通信衛星放送衛星気象観測衛星などを打ち上げていった。H-Iロケットは9機生産され、そのすべての打ち上げ成功しており、日本初め複数衛星同時打ち上げ成功した日本有人宇宙飛行のための開発行っておらず、NASA協力毛利衛日本人としてはじめ宇宙に行く予定であったが、シャトル事故によって、1990年民間人であった秋山豊寛日本人として最初に宇宙に行くことになったまた、彼は民間人として初め宇宙行った人間にもなった。

※この「更なる開発へ」の解説は、「日本の宇宙開発」の解説の一部です。
「更なる開発へ」を含む「日本の宇宙開発」の記事については、「日本の宇宙開発」の概要を参照ください。

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