更なる路線の切り売りと経営破綻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 03:08 UTC 版)
「パンアメリカン航空」の記事における「更なる路線の切り売りと経営破綻」の解説
運転のためのつなぎ資金を得るために、事件の翌年の1989年には西ドイツ国内と西ベルリン間の路線をルフトハンザ航空に売却し、1990年10月には、日本路線と並ぶ高収益路線であったロンドンのヒースロー国際空港への路線を、イタリアやスイスなどへの以遠権を含む路線の権利やヒースロー国際空港のターミナル、ボーイング747やボーイング737の残りの機材とともにユナイテッド航空に売却した。 高収益路線の相次ぐ売却と資産売却を行い運転資金をひねり出したものの、労働組合の反対により給与削減を柱にした経営効率化計画がとん挫するなど経営状況はほとんど改善せず、さらに1990年8月に勃発したイラクによるクウェート侵攻による航空業界に対するダメージが拍車をかけ、ついに1991年1月には経営破綻と連邦倒産法の適用を宣言し、プラスケットCEOは責任を取って辞任した。 同時に運転のためのつなぎ資金を得るために、マイアミ発を除くすべてのヨーロッパ路線とフランクフルト国際空港のハブとヨーロッパ路線、ケネディ国際空港のパンアメリカン航空専用ターミナル「ワールドポート」、ラガーディア空港からボストンとワシントンD.C.へのシャトル便の路線の権利をデルタ航空へ売却することになった。さらにマイアミ国際空港発着を除く中南米路線のユナイテッド航空への売却を行った。
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