時代背景と同時代資料
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:39 UTC 版)
「オファ (マーシア王)」の記事における「時代背景と同時代資料」の解説
8世紀前半、アングロサクソンの支配者はマーシア王エゼルバルドであった。エゼルバルドは、731年までにイングランド中東部のハンバー川以南を支配下に置くなど、7世紀半ばから9世紀初頭にかけて登場した強大なマーシア王の一人であり、こうしたマーシアの勢いは9世紀のウェセックス王エグバートの時代まで続いた。 オファはその手にした権力と地位から中世前期ブリテン島諸国においてもっとも重要な支配者であったが、同時代の伝記などは残っていない。この時期の重要な資料にアングロサクソン史を古英語で綴った年代記の集成である『アングロサクソン年代記』があるが、この『年代記』の執筆、編纂はおそらく西サクソン(ウェセックス)で行われたものであり、多分にウェセックス寄りと見られる記述もあることからマーシアのオファが得た権勢を正確に伝えているとは限らない。他方、オファ治世の勅許状からオファの権力を伺うことができる。勅許状(特権状、地権書、charter チャーター)とは、従士や教会関係者に所領(土地)や特権を認める文書で、土地を与える権限を持っていた王がその証人となった。勅許状に添付される証人一覧には、主権者である王に加えその上王(大王 overload)の両方の名前が記録されていることがある。例えばイスメレ勅許状 (Ismere Diploma) にはウィッチェ王オスヘレ(Oshere)の息子エゼルリック(Æthelric)の名がマーシア王エゼルバルドの下王("subregulus")として記載されている。8世紀の修道士で歴史家のベーダが著した『英国民教会史』は、記述が731年までに限られはするがアングロサクソン史における主要史料のひとつで、オファ治世についても重要な情報が得られる。 オファ時代にその大部分が建設されたとされる「オファの防塁(英語版)」は、オファの統治力の高さを示す遺構である。この他現存する資料に『トライバル・ハイデイジ(英語版)』(7-9世紀ごろイングランドでまとめられた、アングロ・サクソン35部族の一覧書)があり、これをオファの支配域を示すさらなる史料とする説もあるが、作成年代がオファ治世のものかについては異論もある。またこの時代の重要な書簡集として、特にシャルルマーニュ(カール大帝)の宮廷で10年以上を過ごし、シャルルマーニュの最高顧問の一人としてイングランド全土の王、貴族、聖職者と交信したアングロサクソン人の修道士、神学者アルクィンの書簡集がある。アルクィンの書簡集はオファとヨーロッパ大陸との関係を明らかにする点で特筆すべきものであり、オファの硬貨がカロリング朝の硬貨を基本としていることなどもこの書簡から判明した。
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