昭和天皇夫妻に靴を献上
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 01:08 UTC 版)
「スタンダード靴」の記事における「昭和天皇夫妻に靴を献上」の解説
昭和天皇が物資不足の中修繕した古い靴を履いているということを聞きつけ、東京本社工場にて製造した秘蔵の甲革を使用したグッドイヤーウェルト製法の靴を11月18日に献上する。献上靴を喜んだ昭和天皇は「皇后にも作って差し上げよ」と発言した。このことが宮中で話題になり、戦後一度も笑顔を見せずにいた天皇を慰藉した靴会社に礼が言いたいということで、終戦当時首相であった鈴木貫太郎が本社工場に来訪した。 1947年 足立区高野町の養成部工場をスタンダード製靴学校とすることで文部省の許可を得て、7月に開校した。この年の7月大型台風のキャスリーン台風が関東に上陸。皮革工場・製靴工場が大きな被害を受ける。足利工場は浸水による操業不能になり、埼玉の幸手工場では水死体が流れ込むほどの浸水であった。これにより戦時中に設けられた分工場はすべて消滅した。またヤマト商事は50万円に増資し、製靴機械メーカーと特約契約を結び製靴機械の納入を始める。中底溝切機や釣込機などを自社工場で製造を始めたが、製甲ミシンが不足していたため、蕨工場で製甲ミシンの製造を始める。これが国内有数の靴機械メーカーである「リーダー靴機械株式会社」の始まりである(会社名はスタンダードの商標であるリーダーから命名)。 1948年 米国による対日占領政策は急速に緩和し始める。企業再建整備計画許可申請書を日本銀行に提出。ヤマト商事も靴の配給取扱業者の資格を取得。 1949年 ドッジ・ライン(財政金融引き締め政策)制定。1月25日に企業再建整備計画が認可され、PX(進駐軍関係向けの食料品雑貨・衣料・身回り品)向け特注を受注し外国人向けの製品の製造に入る。統制緩和による近い将来の商戦のために日本橋野村ビルに店舗と東京営業所、またヤマト商事東京出張所も併設した。5月には特別経理会社を6月には制限会社の一覧より削除されることになり、来るべき自由競争の時代を迎えるための体制作りが完了した。専務であった磯畑弘太郎が社長に就任する。 1950年 1月19日に牛革の配給統制が撤廃、5月12日に「革及び革製品の価格統制」が撤廃される。これにより1937年以降続いた民需用革靴輸入禁止令以降、戦中・戦後・統制期間を経て革靴の自由競争時代に突入することになる。東京本社管轄の商区は本社営業部が、流行の激しい高級婦人靴・子供靴などはヤマト商事が、大阪商区はアサヒ商事が担当し統制撤廃に備えていた。販促活動としてウィンドーステッカーを配布。「スタンダード靴ニュース」を復刊させ靴業界のトレンド、新製品紹介などのサービスに努めた。5月12日にいよいよ価格統制が廃止され自由競争の幕が切られた。
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